2016-3-27 小野詩織
踊りに行くぜ仙台公演が終了して、1ヵ月経ちました。
時間が経つと忘れてしまうこともあるけれど、落ち着いていま半年間のクリエイションを振り返ります。
今回のクリエイションは「劇場で上演する作品をつくること」「出会ったばかりの同世代の人とつくること」「演劇の人とつくること」「作家兼出演者として作品をつくること」
どれも初めてのことで、踊りに行くぜへの挑戦は自分の作品づくりを探る貴重な機会でした。
10月からクリエイションがはじまり、
作品で何を伝えたいのか何を見せたいのかチームで共有することを大切にし、たくさんの時間を割きました。
4人で異物って何だろうというトークをたくさんしました。
私は自分が周りの人から必要とされていないと思うとき、自分自身が異物だなとおもう。
母親と喧嘩した時、母が「私なんかいなければいい」と言ったことがある。
母自身が家族の中で自分が異物だと感じている。そんな言葉を言わせた私自身も異物だと思った。
自分がいらない人間だと思うことはとてもさみしいし、悲しい。この孤独は私にとって最大の異物。
家族、友人、先生、先輩、後輩…私は周りの人に必要とされることで孤独から救われて、今生きている。孤独という異物を取り除いてくれるのは私自身でなく、身近な誰か。
喧嘩した次の日にはいつものように接してくれる母は私の存在をいつも受け入れ守ってくれている。
マクロファージが体内の異物を食べて私たちの身体を守っていること。にすごく近い気がする。
当たり前のことが、私の平和をつくっている。
当たり前のことが私の平和を脅かす存在でもある。
という話をしました。
自分の中にあるイメージや感覚を伝えるために言語化して相手に伝えることで、ぼんやりしていたアイディアやイメージが整理されて明確になることがあり、言語は作品を組み立てていく助けになりました。
逆に、自分の言葉でわかりやすく伝えているつもりでも、理解してもらえないことが多くありました。また、言語化することで伝えたいこととかけ離れていくこともありました。
イメージを先に言語化し、そこからダンスとして立ち上げることで言葉に固執してしまい、ダンスが説明的になることもしばしばあり、苦労しました。
私はダンスを、出演者の朽木くんと三澤くん、美術の中畑さんの3人は演劇を今までやってきました。
ダンスと演劇ではそれぞれ「言語」の使い方が異なっていて、クリエイションでは障壁になりました。
12月のワークインプログレスで発表した作品はとにかく1本形にしようという思いが強く、荒いものだったと思います。サポーターから助言をもらい、ダンスとして動きのおもしろさ、グルーヴが足りない。全体のリズムものぺーっとしていて盛り上がりがない。ということに気付かされました。
そしてなによりも、
私自身の身体が活かされていないということが1番悔しかったです。
そこで、ダンスで表現することの必然性について見つめ直しました。
ワークインプログレス後に作品のコンセプトや各シーンで見せたいものをチーム全員で8時間にも及ぶ話し合いをしました。
このときに丁寧に共通言語をみつけていき、作品のことを全員で共有したことは今回のクリエイションでとても重要でした。
そこから試行錯誤した結果、私がイメージしているものを動きとしてつくり、それを共演者が言語化するというかたちで進めていき、チームとしてそれぞれが得意とする役割を果たすことで作品がよい方向へ変わっていきました。
クリエイションに入る前に、チームの人間関係、役割分担、コミュニケーションをたくさんとること、このチームでなにができるかということを充分にリサーチする時間がもっと必要だったと感じています。
半年間、毎日作品のことを考えて、悩んみつづけました。
どんなに考えても、なかなか全体は見えません。客観視もできません。
今思うと、頭で考えすぎていました。
ダンス作品では、身体でとにかくやってみる。
身体の感覚をもっと大切にしなければと思います。
踊りに行くぜを終えたいま、
これからももっと踊りたい!!作品をつくりたい!!
と思っています。
今回クリエイションの過程で、もうやめよう。と何度も思いました。
踊りに行くぜで踊るのを最後にしようとも思いました。
でもそれ以上にダンスがすきだ!ダンスはおもしろい!
と舞台で踊りながら感じました。
ダンスをつくりたいという想いを支えてくれる熱い人たちがたくさんいることも実感しました。
作品を生み出すことは苦しいけれど、またこれからも踊り続けたいと思います。
その一番の理由は、今回の作品に満足していないから。
踊ることでもっとおもしろいことがしたい
なにか伝えたい。だれかの心を動かしたい。
今後も自分の踊りを追求していきます。踊りに行くぜでの繋がりも大切に、踊り続けます。