クリエイションドキュメント [各作品の作品制作の様子を作家・編成メンバー・取材者・共催者が記録していきます]
終わってから  磯島未来(振付・アドバイザー)

2月22日

踊りに行くぜ@八戸が終わって2週間。

あの稽古三昧だった毎日は終わってからの日常生活に埋もれていきそうなぐらい、日々は思いのほかあっという間に過ぎていく。ここで重い腰やっとあげて書き進めるクリエーションのこと。

とは言うものの、ここまで溜め込んでしまうと何から書けば良いのやら。

記憶を巡らす。


12
月上旬に出産をしたわたしは12月の稽古は欠席させてもらってとことん休養にあて、具体的な稽古参加は1月から。それまで岩岡さんとスカイプして話したり、メンバーでメールをやり取りしたり、打ち合わせしたり。
だけど過ぎてしまえばもはや稽古に入る前に何をどこを目指していこうと話し合っていたのだったっけ。

毎日を稽古で積み重ねているはずなのに、なぜか積み上がっている実感が得難かった稽古開始してから2週間での経過発表。
やってきたことを並べることはできるけど、見せ物として充実しているかと言えばもちろんそうではない。ここからの残り2週間で何をしていかねばならないのか、何を捨てなければならないのかと判断が大事になってくるわけだけど、人はそう簡単に変れない。変らない。アイディアをまだ出してくる出してくる、岩岡さんは宝でも見つけたかったのかな、大判小判ザックザックと。

そう、何を宝と思うかは人それぞれ。
良いと思う価値観が違う人との作業は難しい。
どうしてこんな大して面白くないことをやろうとしているのか、「つまらないですよ」って言ってしまえば早いのに、この人はこれなんでわざわざやるんだろうって変に勘ぐったり深読みしてみたり、結果なにもなかった、なんてこともね。わたしも探り過ぎたんだなあ。

なかなか手応えのない稽古が続き、だけど本番は着実に近づいた。

作品をどうにか強度のあるものに、と自分も口出しすることが日に日に増えて、岩岡さん以上にぶつぶつ言うようにもなるけど、しょうがない。嘘でも事を起こさないと何も始まらなかった。自分が見たいダンスを起こせていない状況というのは居たたまれないのだ。

うまくいったかと思えば明くる日には落ち込んだ。
でもそういうもんだ。そういうもんなんだ。
うまくいく日もあればダメな日もある。いつもいつもうまくいってたらこんな苦労してやってないし、ここまでやってもきていない。

なんだかたった1ヶ月だったのに随分長い日々だった。
本番の日が終わって大きな達成感のようなものがあったかと言えば、うーん。
終わった!というより、やっと終わった・・・という方が素直なところ。

本番はいつだってあっけない。
それよりも稽古の日々に三人それぞれが三様に変容したり脱皮したりと輝く姿を見た、その事のほうがわたしは何倍も面白かった。それは当たり前か。
だけどその輝きを舞台上で起こせなかったことは悔しいと言えば悔しくて、だからまた次を目指したくなる、それの繰り返しなのかもしれない。

演出の岩岡さんは、これからに何かつながれば、とたまに言っていた。
果たしてこのクリエーションが三者になにか影響を及ぼしたのだろうか。
と、昨日21日に出演者の一人であった嶋崎のパフォーマンスを見に行ったらば、彼女が悩んで果敢に挑んでいく姿が、クリエーションを経た身体が見えた。

岩岡さん、やったじゃないですか!

稔さんは次の演劇祭に何か影響しているのかな、見てみますよ。
田茂さんは岩岡さんと喋れなくてきっとまた一人で飲みまくってるのかもですね。たまにスカイプしたらどうですか。

かく言うわたしは岩岡旋風でなにか影響を受けているのかと言えば、クリエーション前に岩岡さんが言ったことで物議を醸した「六ヶ所の核燃料施設」について、当たり前のことのように思っていたそのことを自分は何も知っていないということを目の当たりにしたショックはあり、本を急いで購入し読み進めはじめた、そんなところでしょうか。

岩岡さんは本当にこじらせ屋だったけど、外の人だからできる無責任な散らかし方を見事にしてくれて、八戸に残されたわたしたちがこれから何をしていかねばならないのか考えさせてくれている。

関わってくれたみなさま、本当にお疲れさまでした。

そして最後までありがとうございました。

もしあのメンバーでまた稽古するときがあったら、そのときはディアブロじゃない曲にしましょうよ。そのときはわたし選びたいなー。

オランダ帰国後にも鍋の後味

投稿者: 岩岡傑

とにかくイロイロだったけど、最後まで諦めはしなかった八戸での踊りに行くぜ!2の制作。

ふらふら、ぐらぐらと?潮の流れに乗っているうちに、昨年8月から何かにつけて付言してきた「河鍋暁斎」の絵のうちの一つの様になってた自分。

こんな感じ。

この貧乏神が、今回、唯一達成できた暁斎の絵のイメージではなかろうか?
しかも、舞台の上ではなく、外側で。。。

そんな貧乏神、岩岡の実際の制作過程は以下の様。

まずは、他人に自分の考えをはっきり言葉で説明できないところから始まり、ずっとそれを何とかしなければと思いつつ、空回り。

自分がやりたかったことが、もともとそれ自体が矛盾しているのは知っていたけど、それを矛盾のない様に説明はやはり無理。

(その実、自分の中では矛盾ではなかったのだけれど、、、)

で、それを説明しようとすればするほど、本題は脇道の横の細い用水路にどんどん流れていって、結局、何を言っていたのか分からなくなる感じ。
もちろん、周りは??となる。
全ては無意味で、だからこそ、何かを「やる」という時の理由なき衝動というか、そういうのが前面に出ると良いなと思い、そのアウトプットは、とりあえずは、どういう形でもよかったのだけれど、「衝動」は感じられなかったり。。。
(田茂さんは、時々そこをヒットしていた感じはあったけど、性格上?気分に左右され、安定感はなかった。
ので、どうしたら良いか悶々としているうちに時間は過ぎる。焦る。もっと悶々とする、という悪循環)

それでも今回は今ままでと違う対応で、出来てないところをまず否定するのではなくて、まずは肯定できるところから、と思ったけれど、結局はきちんと肯定もできず、はっきり否定もできず、というあやふやな態度になる。

そんなこんなで、みんなからの「こいつ大丈夫か?」というオーラが日増しに強くなるのをひしひしと感じる。
そんな中で、経験不足から、必要なコミュニケーションも後手後手に。
ますます、制作環境を自ら「やりづらく」していく。

そんな中でも、要所要所での磯島さんのサポート(本人はそんなつもりはなかったかもだけど)には、随分と助けられた。

途中経過発表からの「これどうするよ?」という、全員共通の危機感から、本番前日のゲネ(会場にて本番通りに通すリハーサル)までの道のりは言葉にするのはナカナカ大変なので、省略。

何がどうしてそうなったかは、最後までわからなかったけど、ゲネの時に嶋崎さんが自らを破る。
それにつられてか、後の二人もそれまでになく「とにかくやる」という意気込みのようなものが芽生える。
奇跡は起こるものだな、と、散々いろいろ言われ続けたけれど諦めなくてよかった、と、その時、思う。

今回の制作が自分に残したものは、今はまだうまく言葉にできないけれど、相当に大きなものだという実感。
自分のやってきたことに対するプライドもへったくれも無く、ただひたすら、もがいていた。
(昔から自分は、変なプライドだけは高かったけれど、そんなものを保持できないくらいな状態だったのは、あるいは良いことなのかもしれない)
何が、「今、(日本で、八戸で)やっておもしろい」ことなのか、(自分がやっている)「パフォーマンスアート」でなくて「踊り」にするにはどうするのか、それを「見せる/魅せる」には何が必要なのか?
「答えは一つしかない」というものではないそういうことに、今までで一番、正面からブチ当たった時間だった。
これは、JCDN水野さんによるところが大きい。
本当に、感謝しきれないほどの感謝である。
そこに対して、無限にあるいくつもの答えの中で、「自分の答え」はこれ一つだ!と決断できなかった自分を見る。
それは「自分には、全部の答えはそれぞれに全く正しくて、それぞれに間違っている、というのが唯一の答えだ」としたかったから。
そして、恐らく、それがまず、すべての間違いの始まりだったのかもしれない。
(あと、舞台美術のビデオの編集/操作を自分でやると決めたことも)

それはそうと、自分は本当に八戸で何かを残せたのだろうか?
いや、多分、残せたはずだ、

と思いたい。

せめて、出演した3人には何か、とても小さなことかもしれないけれど、「これから」につながる何かを残せたのでは、と思いたい。
稔さんには、それが何なのかはっきりとは言えないけれど、12月にワークした時と、1月に再開した時の「からだの柔らかさ」は、まるで別人だったことを思うと、頭ではなくからだで何かを吸収してもらえたのでは、と思う。
(それを、もっと先まで持って行けなかったのは、(多分) お互いに悔いの残るところ)

そして、時間のない中、頑張ってくれた「エキストラ」のみんなにも、何か「これから」に使えるものを残して行きたかった。
「エキストラ」の全員には無理だったかもしれないけれど、何人かには小さくても何かを残せたかもしれない。

八戸出発の前夜、鍋をつついた時に、田茂さんから(だったっけ?)「どれくらい満足してますか?」と聞かれ、
「やりたかった作品としては2割ほどで、(今できることを)やり切ったということに関しては7割は行ったと思う」
と答えた。
本当にそうだと思う。
アムスへの帰路で、ふと、2006〜9年ごろに忙しくしていたコンセプトを、知らないうちに一番達成していたのでは、と思った瞬間があった。
そのコンセプトはどういうことだったかというと「自分の作品(またはプロジェクト)自体から自分をできるだけ消す」というもの。
今回、そんなことは全く意図していなかったし、願ってもいなかったけれど、振り返ると「そうなっていた」とも思えてきた。
しかし、それではいけない。

最後までうまく言葉にはできなかったし、できるかどうかわからないけれど、自分にはやりたいことが確実にある、ということははっきりした。
どうしょうもないその衝動をもとに生きていくしかないのだ、
と、また気づかせてもらえた、踊りに行くぜ!!2八戸滞在制作。
こんなに関わった全員が熱い現場も、なかなか無いのでは。。。
そして、そんな現場に触発されないワケが無い。

そんな「踊2」、この場を借りて、今回の制作に関わるすべての関係者の方々に、感謝を捧げたい。

ここからの一歩を、また踏み出せた、自分の人生の大切な時を八戸で過ごせたことを嬉しく思っている、アムスの夜。

本当にありがとうございました。
ここから、また、出発します。

It all starts from here again and I will continue the way till the day I return to its original form, as part of this bloody world in this universe.

2月15日(月)鍋の片付け  嶋崎綾乃(出演者)
クリエーション開始から本番まで約一ヶ月半、私は何者なのかといつも問いていました。
ダンスをしてきた自分、教員の自分、母の自分、妻の自分、ロッカーに入りたい自分、27歳女性の自分、隠してる自分、ベクトルは全然違うのに、それらを集約する感覚。見たくないものを見なくてはいけないような、見せたくないものを見せなければいけないような、そんなしんどさをいつも感じていました。ああ辛かった。
でも、八戸に来たのが岩岡さんで、未来さんがいて、水野さんに会えたこの「踊りに行くぜ‼︎」は、私にとって、舞踊人生のターニングポイントになるような出会いでした。
みんなにいじられ、話が長くて、支離滅裂な岩岡さん。台風みたいだったけど、出演者3人の特性を見抜いていて、でもやっぱり支離滅裂で、みんなを巻き込んで岩岡ロードの上を走ってきました。本番前日の朝は、いい歳して行きたくなくて、子供みたいに泣きました。その時の状態で、舞台に身体を差し出すのがこわかったのです。
私は今まで「踊りを踊って」きたけど、それだけじゃだめなんだと。分かっていたけど、どうすれば良いかが分かりませんでした。「面白い」ってなんだろう、「嘘のない身体」、「リアルな動き」ってなんだろう、そもそも「踊り」ってなんだろう。今回のクリエーションは、ここ数年の課題と向き合わせてくれました。この課題を見て見ぬふりをしても、ただ踊ることはできる。でもそれじゃいやなんだ、だめなんだ。答えは見つかっていないけど、答えを求めてこれからも進むことを、改めて決心させてくれた出会いと時間でした。もし、踊りの神様がいるのなら、これからも踊るための試練を、神様にもらった気がしています。
公演が終わって一週間、出演者の田茂さんは「岩ロス」になっているとかいないとか。私も少し寂しいです。次に岩岡さんに会うのはあの世かな〜なんて。
もしかして、この先も八戸で、岩岡出汁を(少し)染み込ませた3人の具材が、鍋になって現れるかもしれません。うふふふふ。(しまごろう嶋崎綾乃)
2月10日(水) 終えて、感想。 田茂敦(出演者)
大学4年生で最後の舞台を踏んで以来、18年ぶりの舞台向けダンス作品への参加でした。(短期間のイベントやワークショップの発表会にはちょこちょこ出ていた。)
作品の作り方は人それぞれなのでしょうけど、岩岡さんの作品の作り方は、自分が今まで大学時代に経験してきたやり方とそう違わなかったので、とまどいや驚きはありませんでした。反復練習もそう多くなく、練習自体も時間いっぱいみっちり動くという感じではなかったです。それは岩岡さんの悩みや迷いが深かった事と関係しているかもしれません。
このことは、練習時間以外で、出演者自身がいかに多くのアイデアを捻り出し、自分の考えをまとめる時間を作らなければ、作品が良くならないということであり、私がそのことに気付いたのは本番1週間前でした。
そういった意味では、仕事と家庭を抱える中で、作品について考えを巡らせるための時間を作ることが、今作品で最も難しい作業でした。そのために唯一見つけた場所が、朝夕1時間の通勤の車内でした。ニュース解説が大好きで、毎日車で聞いているポッドキャストを封印し、自分の動き、作品での過ごし方を思案していました。
作品では、振り付けの磯島さんから動きが与えられる他は、ほとんどの部分が即興の動きで構成されていました。私は振りのある動きよりも、自分の好きなように即興で動く方が得意だと考えていたのですが、奇妙な動きをするとか、インパクトのある動きを見つける作業が、なぜか苦に感じるようになり、常に新しいことをしなければ、気持ちが続かな
い状態になりました。同じ事をいつも新鮮な気持ちで継続してできるということは、自分にとって課題であり、これはダンスだけでなく、日常生活や仕事においてもいえることです。
公演後に自分の動きをビデオで見返したとき、私の動きには、この作品で自分が大切にしていたはずの粘りやふんばりといったものは、一切感じませんでした。
公演を終えての今の気持ちは、終わってすっきりした気持ちとやり切れなかった悔しい気持ちとで半分半分の状態です。ダンスに関わるのはこれで最後と思っていたのですが、これで終われるのかという気持ちがあり、迷っています。次があるかどうかについての、一番大きな問題は、私のダンスをこの世界中でいったい誰が待ち望んでいるのだ、ということであり、そんなの関係ねえよと吹っ切れるかどうかにかかっていると思います。
2月9日(火) 祭りのあと  田中稔(出演者)

八戸公演も無事?終了。
演出の岩岡さんも八戸を発ち、通常の生活へ戻りつつある今日この頃。
八戸入りした時演出は今回のダンスは鍋に色々な具材を入れそれを観客に食べさせる(今回の演題の「けっ」:八戸弁で食え)と、鯖を食べながら意気込んでいたが、はたして観客にはどれだけの具材を与えたのだろうか、良い具合に煮えていたのだろうかと考えながら、昨日演者、スタッフで鍋を囲んだ。そこにはずれた方言を言いながらせんべい汁をほうばる演出と、何と言われようがダンサーであると自負してやまない者、美しさを捨てられない者、爆発しきれない者、疲労困憊の者、皆公演の映像をみながら具材や煮込み具合を確認。余計疲れた。
八戸の居酒屋の店主と仲良くなったり、八戸のTシャツを着たり似非八戸人となった某演出の鍋の取り皿に元の異邦人、阿呆人?へ戻るべく毒を盛ったが。はたして?
田中稔

2月3日(水)~6日(土) 劇場入り~ゲネ  大澤苑美 (制作)

劇場入り。
公民館ホールは、舞台の迫を客席フロアまで降ろし、袖の部分の舞台も外し、5間×5間のフラットなアクティングエリアのある、とてもダンス向きの劇場が整った。客席の傾斜も見やすく、なかなかよい。

一番乗りで、岩岡チーム劇場入り。構成がギリギリまで決まらなかったこともあり、テクニカルスタッフへのオーダーも遅れていた、最終版(のつもり)をやっとスタッフに稽古見せ。

水野さん、JCDN佐東さん、報告するぜの飯名さん(南郷アートプロジェクトで、ここ3年ぐらい、八戸に来てもらっている)も八戸入り。4日からは、Aプロの、梅田さん、ナレノハテの目黒さん、佐々木さん(も、報告するぜ!!スタッフ兼任)も八戸入り。

明かりあわせや、リハの後、岩岡さんは、八戸に来ているメンバーと、まちに繰り出す。繰り出すといっても、楽しいものではおそらくなく、岩岡作品についての、妥協なきディスカッション。

音きっかけにしているから、身体が主導権をもっていない。音と映像を分けて、齋藤さん(音響スタッフ)に音はまかせたほうがいい。みんな、段取りをこなしているだけ。おもしろくない。 等々、本当に妥協ない。
初日は、水野さんと、磯島さん、大澤だけだったが、翌日からは、佐東さん、ベンさん、佐々木さん、飯名さん…と加わっていき、みろく横丁にまで行って、作・演出の岩岡さんが横にいながら、この作品はどうやったらもっとよくなるんだろうか、どうしたらいいのだろうと、頭を抱えて話をしていたらしい。

ゲネプロの前の日。この日は、出演者の嶋崎さんも、お店に繰り出した。昨年夏に生まれたチビがいるので、なかなか夜遅くまで嶋崎さんがいることはなかったが、この日は、嶋崎さんも“かだる“、(標準語で参加する)ことになった。いつものように、話題は岩岡さんと、岩岡作品について。しかも、ダメだし。なぜかそうなる。前日同様、妥協なきディスカッション。
私は、この会にはいけなかったのだが、この夜の時間を経て、嶋崎さんが奮起する。
「みんな、勝手にいろいろいいやがって! 最終的に、舞台に立つのは、矢面に身体を差し出すのは私たち出演者なんだ!岩岡さんでもない!」

夜中に「みのるさん、たもさんへ」と題したメールが入る。 「なんかよく分からなくなってきました。出演者だけで、話す時間を持ちたいです。」
身体を休める予定だったが、1時間繰り上げて、3人が集合する。岩岡さんも、磯島さんも、もちろん私も水野さんも抜き。

意外にも、こういう時間が今までなかった。出演者が、岩岡さんのオーダーをどう解釈し、どう立ち上げていこうか、岩岡さんは岩岡さんとして、自分たちはどうするのか、そんなことを自分たちで話す時間が。そういう場を、嶋崎さんが立ち上げたこと、私は少し嬉しく思った。やっと、革命が起きそうな気がする、と。

3人だけの話し合いを経て、その後、ゲネプロの前最後のリハタイム。彼らは、身体を動かすのではなく、舞台に車座になり、嶋崎さん、岩岡さん、田茂さん、岩岡さんと磯島さんの5人で、話をする時間にすることを決断をした。身体を動かしても作品はよくならない。必要なのは、腹がくくれるための、話す時間。

私は、バタバタしていたのもあって、その輪には入らなかった。だから、この日に、みんなが何を話していたのか、知らない。でも、いい。
よかった。よかったよ、こういう時間がやっともてて。

この日のゲネプロは、よかった。吹っ切れた身体が、語る身体が、そこにあった。

「出演者が、舞台の立ち方をそれぞれに考えてほしい。その積み重ねで作りたいんだ。」という岩岡さんのオーダー(大澤訳)が、狙った形ではないけれど、叶った日だった。

1月29日(土)  大澤苑美(制作)

1/28から2日間、稽古休み。岩岡さんが、故郷・松山での踊りに行くぜ!!の松山公演を見に行くというので、前から休みが決まっていた。でも、本番まであと10日を切り、構成もまだ決まりきらない中、焦りも募る。
松山の岩岡さんと磯島さんは、その構成についてスカイプで話をしたようだ。磯島さんがこれから4日間の詳細な稽古予定を立ててメールを送る。相変わらず岩岡さんは、新しいアイディアを試したい病のようで、ついに、アドバイザー・振付担当の磯島さんが、爆発。
新しいアイディアは、これらの稽古がきちんと出来てから出してください!と。これから深めようというときに、新しいことばっかり試していては、深まるものも深まりません!と。
増やすのではなく、減らすのだ。広げるのではなく、深めるのだ。
岩岡、がんばれ!

1月23日(土) 大澤苑美(制作)

朝から、岩岡さんのレジデンス部屋に押しかけ、水野さん、磯島さん、大澤でミーティング。

モニターの接続についてのテクニカルの話から、磯島さんとの役割分担のこと、50分の長さのものを30分にするための構成を考え直すこと。
でも、何と言っても、そこにある身体が面白いという状態になっていないことについて、どうにかせねば。そのために、稽古の方法も変えていかないとだし、また岩岡さんが、自分の作品はどういういもので、何がおもしろいことなのかの自覚をし、信じることも必要。
混沌なのか、コミュニティダンスなのか、政治メッセージなのか。

さて夜の稽古。
片付けナイトのシーンを中心に。今までは、3人でのインプロを重ねて、見ておもしろいとは何か、やっていてこれだ!と思えるものは何かを探ってきた。でも、インプロのネタもちょっとマンネリ、岩岡さんの求める状態も説明を受けるものの(相変わらず岩岡語は長くて難しいので)よくわからん、3人の関係性をつくるとは何なのか。
まず音楽を変えてみた。うん、曲変えると動き変わる。新鮮味があるとインプロもまた面白さを取り戻すけど、きっとこれも稽古を重ねると同じことだろう。
ある程度、決まった振りや、設定を決めた方がいいんじゃないか?そうじゃないとしんどい。でもそれはそのとき出来る面白さに出会えない。

うーーん。
ちょっと兆しが見えてきかけたような気もしたけど、まだ先に進めず。

うーん。

明日24日は稽古休み。
岩岡さん、磯島さんは、25日の稽古までに、構成と稽古の方法を改善する。
時間がなくなってきた。あせる!

1月22日(金)中間発表会 大澤苑美(制作)


●中間発表会。

ダンススタジオ主宰の先生、演劇人、はっちのコーディネーター、この日によいタイミングで八戸てくれたダンサー(田畑真希さん、熊谷さんありがとう)、まちづくり文化推進室の職員と専門員、出演のエキストラメンバーの高校生と鎌倉さんが見て、ディスカッションに加わってくれました。

クリティカルレスポンスプロセスをベースとした、ディスカッション。作者がやろうとしていることがどう見えているのか、照らし合わせるような建設的な意見交換。

岩岡さんから投げかけたこと
・セリフが作品を意味付けてしまっていないか?
・ちゃぶ台が台風の目のように、静の基点として存在する機能をはたしているか
・混沌をテーマとしたこの作品において、見る人の中にある混沌、あるいは身の回りにあること/あったことにリンクする瞬間はあるか
・全体を見終わった時に、作品にはっきりとしたメッセージを感じるか。感じるとしたらどのようなものか

ほか、見た人からの質問や意見。

・テレビモニターの役割と狙う効果は?
・たくさん出てくる小道具の意味は?
・最後が綺麗にまとまった感じはしたけどどう? 最後に盆踊りをやる意味は?
・衣装は今日のもの使うのか

皆さん、この作品がどうしたらよくなるか、という方向性で真剣に耳と目を向けた。今までの八戸でも、こんな経験はなかなかない。作品について、それぞれが生きてきた経験値と価値観を携えて語ること、なんて面白いんだろう!

その後は、会場を変えてディスカッション続行。お酒も入って、ぶっちゃけこの作品どう思うのよ?の意見を交わし合う。

さて、岩岡作品も、深めるための残り2週間!やるしかない!

1月19日(火)〜21日(木) 大澤苑美(制作)

1月19日(火)
片付けナイトのシーンの練習。ビニール袋を投げる男2人、女1人。

田茂さんが「このシーンばっかり練習するということは、何か大事なシーンだということですよね。」と投げかける。そう。この片付けナイトが、3回出てくることにしたという。
なんでこれが3回なのか、は、聞けなかったけど、とにかく大事だと。
じゃあ、大事なのだとしたら、岩岡さんがこのシーンでやりたいことがあるんだよね?理想形や、作り出したい状況は?それに近づくにはどういう指示や振付がいるのか、そこはどうなの? この日、見学している千田さんや、古町さん(まち文)から質問や提案が出る。もちろん、私からも。
3回も出てくるこのシーンなのだから、つまらないシーンが3回では困る。岩岡さんが、このシーンがどういう状況だったら面白いと言えるのか、その岩岡さんのイメージを引き出したいのだが、やはり、岩岡語の理解は難しい。笑
昨日はよかった、というが、昨日がよかったというその状態とは何か。

出演している側はどうなんだろう。とにかく片付けナイトをもっと回数やりたいです、と嶋崎さん。岩岡さんの想定している役割のシーンがを探れるまでやってみるから、という心意気かな。

振りや設定を明確に渡すという作り方ではないので、出演者が生みだしたり、理解したりというウェイトが多い、あと2週間で形になるか?

1月20日(水)
エキストラの高校生、大学生と、演劇人が加わる。稽古時間も少ないしどうなるのかという心配もある中、なかなか皆さん積極的。特に、高校生女子。
新八幡馬の振付と、〝空間に喰われる〟の振付をやる。最初は30秒1回だけの出番のはずだったが、3回になる。(片付けナイトが3回になったことによる)

さて、稔、田茂、嶋崎の3人の稽古。今日も片付けナイト。事前に、磯島さんと整理して、3回のシーンがレベル分けされた。レベル1、レベル2、レベル3。それぞれルールがある。
レベル3は、かなりの自由が許された。

1月21日(木)
エキストラの稽古2日目。高校生女子は相変わらず積極的で、出番の音楽のきっかけも掴んでる。

さて、メイン3人の稽古。今日は通すと言ってるものの、流れの確認もほぼ初めて、まだやったことのないシーンもあってやってみる。
金髪アフロの外国人みたいな岩岡さん登場。誰だ⁈

1月20日(水) 田中稔(出演者)

本日エキストラ?の学生諸君が、やって来た。何とも賑やかで演出の岩岡さん、いつもと違う顔、いつもの3人じゃ不服か。と言いながら我らも違うような。外は雪が積もり寒いが、稽古場は若さとバカさが混沌として熱くなって来ましたぜ。
それじゃラスト八幡馬、ちゃぶ台2周!何じゃそりゃ⁉︎
田中稔

1月12日(火) 田中稔(出演者)

今日(12日)で、新年5日目の稽古。皆んな、疲れの色が隠せない。おせちでなまった身体が重い、八幡馬(八戸の盆踊り定番)の振付、短い台詞、覚えられない。頭が重い。今日は初めて、断片的であるが通してみる。舞台がみえてくる、こうなるのか何となくウキッ(猿年だけに)とする。少し身体が軽くなる。

よし、来週までに振付覚えるぞ(もっと早く覚えろよ!:天の声)。
田中稔

12月21日(月)〜23日(水祝) 嶋崎綾乃(出演者)

嶋崎です。
クリエーション2日目から4日目は実際に動いて探っていく作業だったので、少し書いておきます。

2日目(12月21日)はひとりずつ10分間自由にパフォーマンスをするところから。次は3分、次は1分半…と何度やったか忘れるくらい動きました。徐々にタスクを付けながら。
やっていくうちに、嶋崎止まれない、稔さん止まっちゃう、とそれぞれ真逆の癖が見つかりました。止まれない嶋崎は、2秒動いたら最低15秒充電(止まる)、5秒動いたら15秒充電、とこれまた何度やったか忘れるくらい動きました。あぁ、これ昔からの課題だなぁと思いながら。
稔さんは止まらないことと、言葉と関係ない動きをすることを言い渡され、同じく何度も挑戦。私は止まることに慣れてくると、止まり方がロッカー感が出てると指摘されました。根暗が出ちゃうんですよね、どうしても。

3日目(12月22日)は10分間NowNowウォークをするところから。歩いてるだけなのですが、何か気持ちいい。この日もたくさん動きました。

4日目(12月23日)もNowNowウォークから。フロアワークもしました。その後止まったり動いたり、噛んだり嗅いだり。稔さんと二人で操作し合うワークや、へっぽこ幽霊も。
もっと、踊らなくても語れる身体になりたい。踊ることで語るのではなく、踊らないことで語れる身体に。それにしても稔さんはどんどん変わっていきます。面白いです。「トゥー」も聞き逃せません。

年末は岩岡さんから宿題が出ています。
 

12月26日(土) 田中稔(出演者)

12/26
クリスマスも過ぎ、正月の準備も始まった八戸にもとうとう積雪が!
1月からの稽古に向けて体力作りと思い、トレーニング場でランニングマシン、腹筋、ベンチプレス?今更やっても体力がつかないのは重々分かっておりますが、気持ちですよ、気持ち。
あと、演出から出された50歳過ぎてからの冬休みの宿題、まるで小学生に戻ったみたいで若返り・・・な、わけない。
田中稔

12月20日(日)~23日(水祝) 田中稔 (出演者)

20日(日):今回の公演のコンセプトやテーマについて演出者等激論?それで飽き足らぬ者たちは場所を変え酒場で激論、1名負傷
21日(月):いきなり10分間お題無で身体を動いてくれの指示。一寸でも止まらないで常時動いて。動かしたこともない部位を動かす。足がつりそうになる。喉が渇く。
22日(火):セリフが出来た。試してみる。長い、くどい。南部弁でお願いしますの言葉。急に言われたってあんた。
思いついたセリフを南部弁で言いながら動いてみてってまたまたあんた。
23日(水):自分の身体を舐める、齧る、嗅ぐ、空間も同じく、そして動く。セリフを改訂、まだ長い。直立の人間の関節を人形のように動かす。あんた、それ以上後ろに私の腕はまわりませんよ。
4日間の稽古が終了。 

意外と筋肉痛は起きない。一生懸命やらないからだろうと責めないでくれ。
これでも、一生懸命やっているのだ、ただ、身体が脳指令と一体化していないだけなのだ。
でも、疲れた。毎朝が眠い。来月から1ヶ月ぶっ通しの稽古が待っている。体力が、身体が、精神が?
ようし、かかってきなさい。俺は誰に言ってんだ?
 

クリエイション開始。12月20日(日)~21日(月) (制作:大澤)

12月20日(日)
出演者の嶋崎綾乃、田中稔、田茂敦の3人と岩岡さん、8月のオーディション以来の再会。アドバイザー・振付の磯島未来は、出産して2週間くらい、なので12月はお休み。

岩岡さんが、この作品でやりたいことの意図を明らかにすべく、顔突き合わせて4時間のミーティングでした。混沌とか、台風の目、違和感、良い悪いの同居、当たり前とは何か、自分の近場の日常と世界情勢のつながりだとか、いろいろ言葉が出る。ものの、なかなか、岩岡語録を理解するのは難解…笑 長旅の疲れなのか、アムステルダムでは日本語をなかなか話していないからなのか、説明が下手なのか、はたまた、岩岡さん実は考えがない…なんてこともあるのか?こういうこと? それとも別の意味? それは本当に面白いの? 意味があるの? と、水野さんも入れて、半ば岩岡さんの取り調べのようなミーティング。

実は、12/8に、アムステルダムの岩岡さんと、出演者とで、Skype会議を行った。そのとき、岩岡さんから「今回の作品では原発について(六ヶ所村について)扱いたい」という話が飛び出し、一悶着あったところだった。出演者もSkype越しに、そうきたか、と揺らぎ、そういう作品だったら出たくないな、という発言も出るなど、激震(?というと大げさかな)が走った夜だった。
そのようなこともあり、岩岡さんは、水野さんから、この作品のコンセプト、テーマ、手法について、端的に説明する文章を作ったほうがいい、と、宿題が出されていた。
宿題を完成させるにあたって、出演者に見せる前に、何度か水野さんと大澤をふくめてやりとりをしたが、岩岡節がなかなか難解なので(笑)、「それで、岩岡さんは何をこの作品で言いたいの。何がテーマなの」と
、幾度となく、繰り返し問うことになった。

というわけで、この日の稽古のミッションは、そのペーパーをもとに作品について話し、出演者や関わるスタッフの皆の理解を得るとこと。完全にわかった、わけではない感じだけど、やりながら岩岡さんのやりたいことってこうなのか、ここが肝か、というのがわかってくるだろう、はじめていこう!と出演者も、岩岡さんを信じていくことを確認し、この日の稽古を終えた。

ダンスなのだし、アーティストが言葉が巧みでないのはそれはそうなのかもしれない。言葉が巧みだからとていい作品になるわけでもない。言葉の表現である演劇ではできない、ダンスだからできることを求める私たちでありながら、でも、やはりひとりで作品を作るわけではない以上、言葉の説明は、大事。正確に言うと、言葉にのせる思いや決意、エネルギーやどうしようもなくやりたいこと、やらざるをえないモヤモヤ、そんなことが強く伝わることが、大事なのかもしれない。

稽古終了後、田茂さんと飲みに行く。田茂さん、原発の話なら出たくないな、と言った本人である。本当は、今日は、岩岡さんと意見を戦わせるつもりで稽古に来たのに、なんだかそんな議論にはならず、田茂さん的にはちょっと拍子抜け?したみたい。
岩岡さんは、言いたいことを隠しているのか、言いたいことはあるのに説明できていないのか、それとも実はわかってないのか、どれ?なんて、際どい質問を岩岡さんに愛を持って投げかける。
そうそう、行ったお店は、箸袋の儀式があるお店。店主がお客を見て思い浮かんだ言葉を、箸袋にかいて渡してくれるのだ。

そこで岩岡さんがもらった言葉…!
「やるなら今だ!」
まさに!明日から頑張りましょう!と言ってこの日を終える。

●12月21日(月)
と気合を入れたから?
田茂さんが、朝、ぎっくり腰になってしまったと連絡がある。
がーーーん。

午後 実家で体を休めている磯島さんに会いに行く。

制作 大澤

八戸の夜明け@12月19日(12月22日)

はっちよりの日の出

ヘルシンキで初雪 (11月21日) 12月7日加筆

(投稿者: 岩岡傑)
明日からまたトゥルクに。
今日は、午前中に舞踏家のK氏に会って、そのあとギャラリー巡りの予定がK氏との話も弾み、
途中で会いたかった友人(フィンランドでは名の知れた振付家)からメッセージが入り、午後に

会おうということにもなって、結局、ギャラリーには行かず。
しかし、同じ畑の人に会って話をするのもいい刺激になる。
K氏からはヨガと体とについて、フィン人の友人とは最近見た作品群について、おもしろい話ができた。

ヘルシンキでの時間のうちで、5公演ほど違う作品を見たけど、こちらの謂わゆるコンテンポラリーダンス、
もしくはパフォーマンス、というのは(どこでも一緒なのかも、だけど)コンセプチュアルなものが多く、
観客を考えさせる作品、言葉を変えれば、観客が「知的に楽しめる」ことを目的としている感じをいつも受ける。
それに対して、時期、時期によって、友人らとそれがいいやら、悪いやら、と言って来ているけど、最終的には
「知的であるかどうか」という側面は、いつも要求されているのか「そうでないといけない」と、どこかで
思っているのか知らないけれど、どの作品にも何かしら見られる気がする。
けっ!では、知(性)的かどうか、ということよりも、もっと観客の中で何かが動くかどうか、響くかどうか、

ということに集中できたらと思う。
とは言いつつも、若かりし頃(笑)イギリスにて「アカデミックな教育」を叩き込まれて以来、妙にアタマを使う作業

というのをずっとして来てて、そこをあえて全否定するつもりもなく、使えるものは何でも使って行きたいのだけれど。。。
(という、この辺りの自分の中の屈折した感じを作品に上手く乗せていけると、何かしらのテンションを醸し出せるかも?)
八戸公演は、いい挑戦にしたい。

下の動画は、前にトゥルクのスタジオの窓から撮ったリス。
彼らが何を感じて、何を原動力に動いているのか、、人が踊るってどういうことだ?


リスの動き

磯島さんとのスカイプ3回目(11月17日)

(投稿者: 岩岡傑)
3度目の正直か、3回目のスカイプは予定通りの日程で行う。
前回の時からは、フィンランドでの新作の佳境に入って行ったこともあり、あまりアイデアに進展なし。
新作の初演、二日目の公演ともに大盛況で、忙しかったけれども充実感のある良い結果になって、ほっと一息。
その一息の後にヘルシンキにて滞在中のスカイプ、磯島さんと「八戸の人たちの求めるものはなんなんでしょうね?」

という話で、ぶっ飛びすぎてもダメらしいけれど、観客を見下すような「これくらいならわかるでしょ」的なものもダメ、

結局、やりたいことをとことんやるのがいいでしょう、ということに。
それと、以前のスカイプで話していた12月のリハ開始前に一度、みんなでスカイプ会合をしようという日程の話も。
特に田茂さんは仕事の都合で、集合できるかその時になってみないと分からないというこのなので、日程に少し幅を

もたせられる様に自分の都合を調整したので、それも含めて検討を、ということに。
そして、今まさに投稿しているこのクリエイションドキュメントをどう更新していくか、という話も。。。

最終的には、

「あまり気にしすぎないで、とにかく作品制作に集中するのが先だからいいんじゃないですかね。」

「そうですね。」

という風に落ち着く。
(とは言いつつ、時間のあるうちに試しておこうと只今、更新中)

そして、今日の一番の発見は、八戸でイタコさんにお会いしてお話が聞きたい、と以前からお願いしていて

そのお値段が意外にかなりリーズナブル!だということ。

勝手な想像で、おそらく結構してしまうのでは。。と危惧していたけれど、これなら話をしたいご先祖を一人に

絞らなくても良くなるかも。

そうなると、あの人と、あの人、それとあの人にも話し聞きたいなぁ。
と妄想いっぱいのヘルシンキ。
あと、もろもろの話の中、チェルフィッチュの話にも。
共同制作の新作の初演のあった同じフェスティバルにチェルフィッチュも来ていて、10月にはチェルフィッチュの

岡田さんのワークショップもあり、自分も参加していて、途中から通訳もしたりして話をする機会もあり
自分では「311以降」のクリエーションがどういう方向性で作られているのか興味もあったけれど、
かなり普通にコンビニ(まぁそれ自体が変なのだけれど)を中心とした、社会的な作風で若干、肩透かしを食らった感じ
を受けたけれど、磯島さん曰く、その前の2作品はかなり直球だったとか。

それを見てみたかったなぁ、、、。

磯島さんとのスカイプ2回目(11月1日)

(投稿者: 岩岡傑)
2回目のスカイプは、磯島さんからの事前の連絡で予定の日の翌日に。
当日は、特に事件もなく予定通り行う。
この時までに、「あたりまえ」リストがどどっとできるかと思いきや、なかなか皆さん忙しいようで、
思ったよりアイデアが進まずな状況。
磯島さんとは、ここまでの「あたりまえ」リストの中の幾つかを話す。

八戸では霧や靄を「ガス」と呼ぶのが一般らしい。
ということもあり、もしかして、スモークマシーンとか使ったりするかも?
八戸ではお盆が熱いらしい、と伝えると「そうですか?」。
やはり地元民には普通なのか??
まぁ、しかし、このあたりは「あの世もこの世も、一緒くた」という自分の現実世界観ともリンクするので、
本当だといいな、と願うばかり。
ちゃぶ台のアイデアについて、最後はみんなで「いただきます」で終わりたい、という考えも。
これは本当にそうなるかも、という気配をちらほら自分の中に見る。(=すでにネタバレになる可能性大)
稔さんには南部弁でセリフが欲しい、という希望が自分にはあり、
内容を「六ケ所村の核廃棄物再処理工場」についてにしたいと思っている、と話す。
それについて話していて、「外から見る311以降」に対する想いというのが、
自分の中で「作品を作る」ということに深く関わっていることに気づく。
磯島さんが、ここはチーム全体でシェアした方がいいのでは、と提案してくれる。
まさにその通り。
ということで、出演者と磯島さんは必須で、残りの八戸チームのメンバーも交え、スカイプ会合を開けるか、
日程の調整を磯島さんがしてくれる、というありがたい流れに。

改めて「磯島さんを振り付け&アドバイザーに選んだのは間違いではなかった」と思い、心の中で両手を合わす。

さぁ、これから1ヶ月半のうちにどれくらい作品構成を錬って、詰めて行けるか?!

というのが、これまでの潮の流れ。
11月1日夜、最近またちょっと暖かくなったトゥルクより(と言っても、外は今、8度。冷蔵庫なみ)

磯島さんとのスカイプ1回目(10月15日)

(投稿者: 岩岡傑)
そんなこんなで、フィンランドでの共同制作も進みつつ、日本との距離を保つためにも磯島さんとの
スカイプミーティングを2回ほど持つ。
1回目のスカイプは、当日にトゥルクでのリハのスケジュールが大幅変更になり、
途中で変更に関して連絡もなく磯島さんを待たせた挙句、最終的にミーティングをぶっちする形になるという事件で、
翌日にしてもらうというハプニング発生。
磯島さんには、今でも申し訳なく思う。。。
で、気を取り直して、1回目までに考えていた作品に対するアイデア群は以下。
• ちゃぶ台を舞台(作品)の中心に添える
• 頭に何か、ヘッドギア。それをつけて3人で振り付け
• カラオケで歌う
• あの世もこの世も、一緒くたな世界 ~ 八戸のイタコ探し
• 日常/非日常 ~「あたりまえ」って?311の震災
• 作品の対象は八戸のお客さん、etc
と、羅列したでけではよく分からないアイデアたち。
1回目のスカイプ後、八戸チームにメール連絡を入れて、それぞれの「あたりまえ」をリストアップしてもらうように
お願いする&別の宿題として、ナウナウウォークを生活の中で、できるだけしてもらうようにする。
(注:ナウナウウォークとは、フィンランドでのリハの始めにいつもすることの内の一つで、歩くときに足裏の感覚に注意を払って、
一歩一歩を確認しながら、全方向に意識の目を向けて、一歩ごとに周りの状況は新しく「更新」していく、という訓練)

河鍋暁斎、フィンランドに届く(10月13日)

(投稿者: 岩岡傑)
週末のオフを利用してヘルシンキでの武道セミナーに行く日、頼んでおいた河鍋暁斎の本が日本から届く。
バスで移動の2時間、ほぼ釘付け。やっぱ、すごい。
構図や題材のチョイス(依頼主からの頼まれごとも多い)、絵画様式のとてつもない幅広さ、遊び心満載、
でありつつ風刺も入っていたり、と、もう森羅万象全開で圧倒されつつ、触発されまくり。
暁斎(きょうさい)と名を変える前は狂斎としていたことも知り、
やはり「狂」というのはゲイジュツにとって永遠のテーマだな、と改めて思う。

New Performance Turku Festivalでの2作品(10月6日)

(投稿者: 岩岡傑)
9月28日~10月4日まで滞在先のTurku(トゥルク)で、New Performance Turku Festivalが開催される。
その中に2作品、「おっ」というのに出会う。

一つは、ミュージアムの庭で毛布を敷いて地面に寝転んで、ヘッドフォンで死亡してから体が白骨化するまでのプロセスを
BBC(イギリスで言うところのNHK)よろしくな女性の声で聞きながら、
自分の体が周りの環境(ハエ、微生物、気候、etc)による作用で変容していくのを想像するというもの。
人の体とは、自然界では単なる栄養素としても見ることができる、という観点に気づき「こりゃ使えるかも」とワクワクする。
もう一つは、子供の人身売買の訴訟を行おうとして、結果、自分の身を守るために国外追放の身になった(元)アメリカ人弁護士と
フィンランド在住のパフォーマンスアーティストのデュオの討論型の作品。
アート作品としては、どうかとも思ったけれど、「その人の人生そのものの境遇が「作品」の中心になっている」のと、
それに対してアートが何ができるか?という挑戦として見ることもできて、特に普段、普通の一般人として生活している限りでは
知りえないであろう裏社会?の実態を知ることができたのは、ナイスタイミングな再発見。ドラマや映画の世界のような現実、
というのは普通に存在するという事実。
世の中、ホント、狂ってますね。

トゥルクフェス

アムス~フィンランドでの共同制作へ(9月26日)

(投稿者: 岩岡傑)
アムスに戻り、春にツアーも回った出演作品の再演。
この作品の制作プロセスにも触発されて、今回の踊りに行くぜ!2への応募もあったこともあり、
夏を終えて、また一緒に公演中にも感じた「みんなが作品に集中して、
毎回、常にどうすればより良くなるかを個々で意見を出しつつ、それぞれに挑戦し、推し進めていく」というような
チーム状況で八戸でもできたらいいな、と希望観測的な思いを描く。
のも、つかの間、私的にバタバタしながら、秋の最終公演が終わったと思ったら、すぐにフィンランドへ、
友人との約3ヶ月の共同制作のために渡フィン。
心のふるさと、フィンランドにて製作開始。
長く一緒に作品を作っている友人だけに、テーマや方向性は全然違っても、
何か根底で見ているものは共通しているところもある新作で、
別の作品を作りつつ、けっ!にもつながる何かも一緒に作業している感じで、ラッキー!?

タイトル決定!(9月10日)

(投稿者: 岩岡傑)

その後、全体のチラシのための作品文章の締め切りもあり、タイトルを決めないといけない時期に。
企画書の段階では「ドコさ、ココさ、八戸さ(仮)」(意:ドコへ、ココへ、八戸へ – 自他共にかなり不評な仮タイトル)だったのが、
「けっ!」(意:食え!、食べろ!、食べな!等)に決定。
その裏には、企画書には「この作品は料理に例えると「鍋」」と書いていて、選考会以前に八戸の大澤さんとのメールのやりとりで、
「できた暁には「けっ!」って見せましょう」というようなコメントをもらっていたのを思い出し「それだ!」と閃いた。
という経緯があったりなかったり。
(今回なぜだか「タイトルは南部弁で」と前々から心に決めていた、というのも強く影響)

夏の日本滞在を終えて、アムスへ(8月29日)

(投稿者: 岩岡傑)
東京で構想中の自分のソロのワークインプログレス、大阪で即興に参加の後、松山に帰省。
アムスに戻る前にメールにて選考会後に考えていたことなどを八戸チームに連絡。
以下、メールより抜粋
「選考会以来、いろいろと考えています。
自分が本当に(表現、体現)したいことはなんなのか?
ー 生きる、生きている、生かされている、という、言わば「あたりまえ」の事実をどう料理するか、「表現」というカタチにするのか。
浮かんできたキーワードは「必死」。」云々かんぬん。
で、「食べることと、生きるか死ぬかということは直結している」ということから「食べる」(食うか、食われるか)ということを
テーマとして進めていくことを決定。
嶋崎さん、田茂さん、稔さん、と磯島さんに今回の制作のためのノートを一冊作ってもらい、生きるということ、食べるということ、
自分と八戸の関係、自分にとって踊る、演じる、とは?などなど、日々想うことを綴っていってもらう様、宿題提出。
(嶋崎さん、田茂さん、稔さん、磯島さん、宿題やってますか?)

初の八戸!(8月21日)

(投稿者: 岩岡傑)
東京駅から新幹線に乗って、3泊4日で八戸へ。
(と言っても到着は夜22時、出発は15時ごろだったので正味2日とちょっと、な感じ)
お盆も過ぎたばかりの八戸での出演者の選考会。
午前中は八戸でのスタッフの大澤さんと共に八戸の名所巡り、
午後は踊りに行くぜ!2プログラムディレクターの水野さんの到着後、今回主催の八戸市の担当部へ。
面会中、えんぶりの烏帽子を手に取って拝見。やはり伝統芸能っていいな、との思いがよぎる。
夜、水野さんの立会いのもと選考会、出演者3人を決定。
選考会後、参加者&スタッフで飲みに行く。八戸の味を堪能。
この段階で、水野さんから、的を得た鋭い突っ込み多々。すでに若干波乱模様。
自分のスイッチを入れる、良い起爆剤となる。
翌日、水野さん、磯島さん&旦那さん&お子さん、自分の5人で国宝の合掌土偶を見に。
展示の仕方なのか、自分の見る力か想像力がないのか、3500歳には見えない。

滞在する「はっち」はモダンな作りで横丁も近くて(コレ重要)、いい感じ。
八戸を出る前に出演者にもう一度会って、自分も毎朝している胴体力体操の3つの基本運動を毎日してもらうように
宿題提出&個人、個人と少し話をする。
作品の方向性は、このころはまだまだ、もやもや霧の中。(水野さんに突っ込まれるのも当たり前)
八戸出発の日の午前に、はっちを散策。
ひょんなことから、芸術新潮の7月号、河鍋暁斎特集に目が行く。
これ、まさに運命。


(土偶の写真はhttp://triglav-research.com からの転載です。)