2月22日
踊りに行くぜ@八戸が終わって2週間。
あの稽古三昧だった毎日は終わってからの日常生活に埋もれていきそうなぐらい、日々は思いのほかあっという間に過ぎていく。ここで重い腰やっとあげて書き進めるクリエーションのこと。
とは言うものの、ここまで溜め込んでしまうと何から書けば良いのやら。
記憶を巡らす。
12月上旬に出産をしたわたしは12月の稽古は欠席させてもらってとことん休養にあて、具体的な稽古参加は1月から。それまで岩岡さんとスカイプして話したり、メンバーでメールをやり取りしたり、打ち合わせしたり。
だけど過ぎてしまえばもはや稽古に入る前に何をどこを目指していこうと話し合っていたのだったっけ。
毎日を稽古で積み重ねているはずなのに、なぜか積み上がっている実感が得難かった稽古開始してから2週間での経過発表。
やってきたことを並べることはできるけど、見せ物として充実しているかと言えばもちろんそうではない。ここからの残り2週間で何をしていかねばならないのか、何を捨てなければならないのかと判断が大事になってくるわけだけど、人はそう簡単に変れない。変らない。アイディアをまだ出してくる出してくる、岩岡さんは宝でも見つけたかったのかな、大判小判ザックザックと。
そう、何を宝と思うかは人それぞれ。
良いと思う価値観が違う人との作業は難しい。
どうしてこんな大して面白くないことをやろうとしているのか、「つまらないですよ」って言ってしまえば早いのに、この人はこれなんでわざわざやるんだろうって変に勘ぐったり深読みしてみたり、結果なにもなかった、なんてこともね。わたしも探り過ぎたんだなあ。
なかなか手応えのない稽古が続き、だけど本番は着実に近づいた。
作品をどうにか強度のあるものに、と自分も口出しすることが日に日に増えて、岩岡さん以上にぶつぶつ言うようにもなるけど、しょうがない。嘘でも事を起こさないと何も始まらなかった。自分が見たいダンスを起こせていない状況というのは居たたまれないのだ。
うまくいったかと思えば明くる日には落ち込んだ。
でもそういうもんだ。そういうもんなんだ。
うまくいく日もあればダメな日もある。いつもいつもうまくいってたらこんな苦労してやってないし、ここまでやってもきていない。
なんだかたった1ヶ月だったのに随分長い日々だった。
本番の日が終わって大きな達成感のようなものがあったかと言えば、うーん。
終わった!というより、やっと終わった・・・という方が素直なところ。
本番はいつだってあっけない。
それよりも稽古の日々に三人それぞれが三様に変容したり脱皮したりと輝く姿を見た、その事のほうがわたしは何倍も面白かった。それは当たり前か。
だけどその輝きを舞台上で起こせなかったことは悔しいと言えば悔しくて、だからまた次を目指したくなる、それの繰り返しなのかもしれない。
演出の岩岡さんは、これからに何かつながれば、とたまに言っていた。
果たしてこのクリエーションが三者になにか影響を及ぼしたのだろうか。
と、昨日21日に出演者の一人であった嶋崎のパフォーマンスを見に行ったらば、彼女が悩んで果敢に挑んでいく姿が、クリエーションを経た身体が見えた。
岩岡さん、やったじゃないですか!
稔さんは次の演劇祭に何か影響しているのかな、見てみますよ。
田茂さんは岩岡さんと喋れなくてきっとまた一人で飲みまくってるのかもですね。たまにスカイプしたらどうですか。
かく言うわたしは岩岡旋風でなにか影響を受けているのかと言えば、クリエーション前に岩岡さんが言ったことで物議を醸した「六ヶ所の核燃料施設」について、当たり前のことのように思っていたそのことを自分は何も知っていないということを目の当たりにしたショックはあり、本を急いで購入し読み進めはじめた、そんなところでしょうか。
岩岡さんは本当にこじらせ屋だったけど、外の人だからできる無責任な散らかし方を見事にしてくれて、八戸に残されたわたしたちがこれから何をしていかねばならないのか考えさせてくれている。
関わってくれたみなさま、本当にお疲れさまでした。
そして最後までありがとうございました。
もしあのメンバーでまた稽古するときがあったら、そのときはディアブロじゃない曲にしましょうよ。そのときはわたし選びたいなー。