報告するぜ!!
- 2015年1月10日
- 「#1 天使ソナタ」演出家、川口智子に聞く。Vol.1@東京
(テキスト:水野立子)
年内稽古のラストスパート期間12月初旬の森下スタジオで、途中経過発表を終えた翌々日12月17日城崎国際アートセンターで、2度に渡り川口智子にインタビューを行った。あと1週間後に迫った札幌での「#1 天使ソナタ」初演を前に、そのインタビューを紹介します。
これまで、「踊2」の作家に数十名となくインタビューをしてきたのだが、始まったとたん逆質問された。「どうしてこの作品を「踊2」に選んだのか?何を期待していますか?」こんなの初めてで笑えた。何か質問すると間髪あけず答が返ってくるスピード感のあるキャッチボール。が突然、我が世界に入りすぎてか、理解不能な言葉を発する。山登りの好きな強脚の持ち主。最近あまり出会うことがなくなったタイプの31歳女性との出会いに、少なからず高揚感を覚える。
さて、川口智子の活動歴を紹介するには、なんといっても彼女とサラ・ケインについての関係は切り離せないだろう。今回の作品をつくる発端のひとつにもなっている。そのあたりのことは、既に「報告するぜ!!」で飯名尚人さんの記事が2つ、「川口智子についてのサラ・ケイン」と、森下スタジオでの制作過程をとらえた「セッション、ウネウネ、一筆書き。」こちらを合わせてご参照ください。
では、始めます。
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Vol.1@東京・森下スタジオ 2014/12/6
テープ起こし:渋谷陽菜・竹宮華美
聞き手・編集:水野立子
<川口智子にとってダンス作品をつくるということ>
― どうして今回は、ダンス作品をつくろうと思ったの?今までは、演劇作品をつくってきている人という認識があるのだけど。
川口:観る人が最終的に現代演劇だと思ってもらえるようにしていたんですが、今の演劇をやっているつもりはないですね。「空・パシャ」ってたとえた言葉があって、空の写真を撮ればそれがアートだっていうのが、2000年代の流れとしてあって、「イマ・ココ」っていう点であって何処とも接続していない、それが一瞬カッコイイみたいな時代があったんですね。その時に演劇とコンテンポラリーダンスがクロスし始めた時代だったと思います。私は、それを受けて、そのことに自覚的になったのは2003年ぐらい。でも一方でいわゆる台詞術を基本とする芝居もあって、両方とも関心が持てなかったというか。ここに私のつくりたい世界はないっていう風に思ったので、聞かれれば「現代演劇」なんですけど、別に演劇を作っているとは思っていないかもしれない。人を集める理由をつくっているというほうが正しいかな。
[「#1 天使ソナタ」のメンバー左から鈴木光介・川口智子・辻田暁
@ダンス・イン・レジデンス鳥の劇場の初日]
― 自分が一緒に作品をつくりたいなと思う人と活動したかったってこと?
川口:いや、場を開くというか。隙間を作ろうと思っていて。これ私の最後の確信みたいなところで、なんで隙間を作るかって言うと、隙間にも産業が入りすぎて、合理的な隙間しかなくなってきた。だから隙間を作ってやる、って言うのが今回の最終的なテーマです。たとえば辻田が踊るということも、自分の踊り自体が“世界から余っている”という状態、それをまず前半にもってこなきゃいけない。余っているものだったり、隙間というものが本来劇場の中で観られるものであり、劇場という存在だったりすると思っているから。
― それって無駄なもの、に置き換えてもいいのかな?
川口:そうですね。無駄なものというよりは、なんの役にも立たないものというか。結局役に立つってことは利用されるって言うことで。私は世界の役に立ちたくない、っていうのを掲げようと思っていて。まず世界という言葉も、そろそろ止めたいと思っているんですけど。役になんか立ってたまるか!というところで、隙間をキチンと作る、その隙間を隙間として担保するっていうことが私のやりたいことです。
― それね、それを案外、皆が欲しているんだよね。
川口:そうだと思います。いま生活に無いものを求めるとしたらやっぱり“隙間”だと思う。
― 今回の「踊2」のフライヤーに“世界とダンスが繋がるとき”って入れたのは、私の願いのようなものかな。最近、益々“ダンス作品”が孤立してきていると感じていて、世間様からは、ダンスは何も成さないと思われているのだろうなあ、と。でも、逆にダンス・ワークショップなどの障害者やシニア層対象など、あらゆる人に広がるコミュニティ・ダンスの可能性や、教育の中のダンス、確実に役に立つダンスのカテゴリーになると、がぜん、ダンスは注目されてきていて、知名度が上がっているわけ。それは素晴らしいと思う反面、“ダンス作品”の存在価値は、加速度的に失ってきているなあと。まあ、それは影響力を持つ作品が稀になってきている、という我々提供するほうに原因があるわけで、だからこそ「踊2」を始め作品制作からサポートするに至ったのです。
どうしようもなくスゴイ“ダンス作品”が多種多様な形で生まれて、作品を観た人が「すごいんだ、ダンスって」という、作品から感動するダンスの力が欲しい。価値観の提示や変容というアートの力が発揮できる“ダンス作品”でなくなってしまい、ダンス”が運動だけになってしまうと、それはやはりちょっとマズイなあと思ってしまう。
アーティストの立場で言うと無駄なものをつくりたい、隙間を作りたい。受ける側はそれが欲しい。つまりは世界と繋がりたい、そういう願いを込めたキャッチだったんです。だから、川口さんからの逆質問、「何故、今回川口智子作品を選出したか。何を期待するか。」の答えは、ズバリ「スゴイな“ダンス作品”」というのをつくってほしかったから。(笑)
川口:(笑)そうですね。“イマ・ココ”ではダメだというのは、それが何処とも接続しない形で真空パックみたいな形で登場したから、それは2000年代で消えたんですよね。それいくらやっても積みかさらないし、成長しなかったと思う。自分もそんなに偉そうなことはいえないけど、やっぱりジリジリと伸ばしていくしかないって思っています。ここまで行けたからもうあと1ミリ先にいけるか、っていうところの。絵に描くと、地球からニョキッと人の形が一人分生えているっていう。そこを埋めちゃいけないと思うんです。そこもまた外の世界だっていう。内側と外側がひっくり返るって言うイメージで。でも余っているっていうことにしないと面白くない。単純な隙間とかっていうのは色気が無いから。
<演出家の書くテキスト/今回の作品は、どのあたりを書いたのか。>
川口:本があるから私は演出をしてきたわけで、明確なテキストがない状態で演出をするというのはここ1年ぐらいの試みです。昨年の『Viva Death』がそうです。私の場合、本を書くという作業を作家ではなく、演出家の作業としています。ですから本を書く動機を何処に作って行くのかっていうのが、演出の作業になります。
― なるほど。川口さんの中の作家と演出家の違いがそこに現れるのだね。
川口:演出家って本と向き合う時に、自分の中で書き直しをしているんです。だからその作業として何も無いテキストを演出するっていうのは、私にとっては出来るはずのことだと。今回の作品に取りかかってこのことを考えていたときに、辻田の身体っていうのを1つの要素だとして、それを書き起こすことにシフトしようって決めたのが、鳥取でのレジデンスの終わりだったんですよね。
― 辻田さんの身体から出てきたものが、あのテキストだったんですね。
川口:そう、だから辻田が求めているものを私がそう書いたぐらいのもので。それを「わからない」って辻田に言われると心外だと。(笑)
[photo:naoto iina]
―最初にテーマは設定してから、書き始めるのですよね?
川口:そうですね、テーマに基づいてエチュードやったり、3人でインタビューをし合ったり、鳥取の10日間で10個ずつ質問に答えていった時に、それが明確に落ち着くところにいったんですよ。この質問で終わるんだっていう。
―それはどういう問いだったの?
川口:最後の光介さんへの質問で「普遍的な音楽ってあると思いますか?あるとしたらどういう音楽ですか?」という質問に、光介さんは「普遍的な音楽は、心臓の音だと思います。」と、一言で答えた。「それじゃあ、普遍的な音楽作ってください」、というのが今回のお題になるし、そのときに、皆の関心が繋がった感じがして。扱おうとしているのが生きている人間の身体。それが止まった時、それが壊れた時。
<生きるためにどう死ねるか。死のプロセスとむきあうこと。>
― なんか目黒さんと似ているわ。こないだ目黒さんにインタビューしたときも同じ話になった。
川口:私、目黒さんの記事を読んで分かりすぎると思った。それは何故かと言うと、今の世界の中で最も欠けている部分がそこなんだと思います。10個の質問の中に「欲しいものは何ですか?」という質問があって、「死が欲しいです」と答えました。今死にたいとかじゃなくて、今死ねない世の中になってきた、っていうことに対する恐怖が凄くあります。科学が発展しているのは素晴らしいことかもしれないけど、発展させる前に生命倫理がぶっ飛んで抜けちゃうとか。そういう社会に蝕まれていく感じがあって。
― 現代は、人の病を治すのも医者だけど、安らかに死ねせるための医者も必要な時代になったという話しをね、目黒さんともしたよ。先日、ダンス公演を観た帰り道、シニア世代のダンサーから聞いた話しは、来るべき時に自分の意志で安楽死ができる方法を考えているって。自分の意識がなくなったとき、ベッドに縛りつけられて生きていたくない。でも、日本の法律では死なせてくれないから、それを調べるのが自分に残されたことなんだって。私も考えますね。昔の人は4-50歳で死んでいたから、そういうこと考えなくて良かった。今、医学の進歩で倍生きれるから、その恐怖が増えちゃった。死ねない恐怖。目黒さんの作品も、川口さんの作品も、同世代の人が作る作品だから、共通するキーは出てくるのでしょうね。若い人だけじゃなくて、いろいろな世代の方が、勇気をもらえる作品、どんな勇気でも、そういうものになるといいね。
川口:鳥取のレジデンスのときに、とりっとダンスの西浦さんから頂いたコピーが凄く面白くて。臨床の心理学。まさにその死んでいく人とどうやって触れ合うかっていう。日本の文化も医療も同じで、欧米のものばっかり輸入して、欧米のものを理解することが発展の景気になっていたけど、そもそも日本にあった言葉、和語でもって「死に向かうプロセス」を考えてみようっていう本の一節をもらったんです。
― 西浦さんが川口作品の途中経過発表を観て感じて、その本が出てきたってことは、素晴らしいね。