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2014年10月14日
川口智子についてのサラ・ケイン

2014.9.24
高円寺にて
テキスト・写真:飯名尚人

「創作の火付け役は二つのテキストです。ひとつは、イギリスの女性劇作家、惜しくも、1999年、28歳でこの世を去ったサラ・ケインの『Viva Death』。もうひとつは、1935年、ユーゴスラヴィアとハンガリーの国境に生まれ、その境界線上を描きつづけた作家ダニロ・キシュの短編『死者の百科事典』(The Encyclopedia of the Dead 訳:山﨑佳世)。」

こんな風な作品解説が、川口智子の企画書に書かれている。
演出家、振付家、音楽家の3人で編成される川口智子作品について報告開始。

川口智子について

川口智子(かわぐち・ともこ)/企画・演出
1983年生まれ。東京学芸大学大学院修了。劇作家・演出家、佐藤信に師事。
近年の佐藤信演出作品に学芸・演出助手等で参加。2008年、研究者との協働企画ベケット・カフェを立ち上げ、『ロッカバイ』『あたしじゃないし、』『プレイ』(すべて岡室美奈子による新訳)を上演。2013年より、アジアの移動式アートスポットづくりを目論み“Cross Cultural Dialogue Project ABSOLUTE AIRPLANE”を開始。[共同企画/卓翔(進念・二十面體、小劇場.大戲劇亞洲交流會]

川口智子とは座高円寺劇場創造アカデミーで彼女が制作を担当していた頃からの知り合いなので、かれこれ6年ほどの付き合いとなる。背のちっこいおネエちゃん、であるが、最近身長が伸びたらしい。アカデミーは朝10時から僕の受け持つ講義があって、毎朝、ラジオのニュースを聞きながら車で高円寺に行くのだけれど、その日はベルリンの壁崩壊の日で、ラジオ番組ではそのことに軽く触れており耳にしたのだった。そんなことで授業の始まりに「今日はベルリンの壁が無くなった日なので、僕がベルリンに行ったときの写真を見せますー」という感じで、ほぼ雑談とも言える僕のベルリン滞在記を語るという手抜き授業を繰り広げていたところ、川口智子が「ベルリン最高!」とニコニコしていた。そんな些細なこともあって、色々と話をすることになったわけだが、彼女自身、演出家として作品を発表しているということも聞き、どんな作品をやっているのだろうか、と思っていたところ、しばらくして「サラ・ケインの戯曲で作品を作っている」と言う。サラ・ケインと言えば、イギリスの劇作家、演出家であり、日本でも「4時48分サイコシス」は様々な演出家によって上演されている。戯曲を読んでみると、とにかく詩のような、つぶやきのような、メモのような、断片的な言葉が羅列されているかのようなもの。役者への指示書きもなければ、なにしろト書きがない。どれが誰の台詞かもわからない。見ようによっては書き殴りのようでもあり、時として繊細極まりない心の焦燥が書かれているようにも思え、果たしてどうやって作者以外の作家がこういう言葉の衝動を演劇としてビジュアル化するのだろうかと思った。謎掛けのような戯曲。この戯曲をごく安易にデザイン的に解釈すれば、原作ほったらかしの演出家独自ワールドで、舞台美術化された役者がなんかケッタイなことを喋ってはケッタイな動きをするエンゲキとなるわけで、それはそれで、だったら興味ないかなー、と悪態ついたりしつつ、同時に興味も持ちつつ僕としてはそれなりに生活をしていた。

なんやかんやと時は過ぎ、サラ・ケインの「クレンズド(cleansed)」を原作とした川口演出による「浄化」を渋谷で上演するので、記録ビデオを撮影してほしいと頼まれた。

渋谷の線路脇、倉庫のような駐車場のような会場で上演された「浄化」は、先述のケッタイさはなく、サラ・ケインの戯曲を忠実にビジュアル化しようと試みているように思え、誤解なく、翻弄されることもなく観ることができ、そのことは演出家川口智子に好感を持つ契機ともなった。忠実にやろうとするがゆえの演出家の自己投影と必然性には希薄さも残すが、既存の劇曲を解体し、再構築し、あたかも新解釈であるかのように僕を欺こうとするゲンダイエンゲキとは違い、サラ・ケインを読み解こうとする丁寧な試みとして作られていたように感じる。そもそもなんでケッタイな新解釈を僕が嫌うか、というと、だってもう死んじゃった作家の書いた文章を、分解して、構成して、好きなように使い倒す行為に、なんか作家に対してフェアじゃない!と思うからである。死人に口なし。戯曲作家は、自身の言葉を戯曲として残してしまった罰として、死んでも延々とその言葉が使い倒され、後世で身勝手書き直されては上演される。もう死んだんだから、そっとしておいてくれ、と冥界で唸ったところで、良い戯曲というのは発掘されて伝承される。サラ・ケインはどっちだろう、自分の言葉を自分が死んでも尚、人々に語りかけたかったか、それとも自分が死んだら、自分の言葉も消えてなくなるわ、とあっさりと言い切る人か。サラ・ケインは28歳で死んでしまった。彼女は「どんな人物だったのだろうか」という関心がある。サラ•ケインが紙にペンで言葉を記しているときの体は、いったいどんなだったか。想像する。手書き?ワープロ?僕はサラ•ケインの顔すら知らない。

ビバデス!!!!

川口智子は「浄化」のあと、同じ戯曲による「洗い清められ」を演出。「洗い清められ」は、この戯曲が持つ内面に見えた。同じ戯曲を、同じ演出家が、違う演出を施す、というのは、なかなか珍しい。それは再演の概念を覆す。そういう実験的な試みはサラ・ケインへのこだわりにも見え面白く立ち会える。「浄化」「洗い清められ」ときて、次に川口智子が挑んだのは「ビバデス」である。この演出で原作となっているのは「クレンズド」なのだが、「ビバデス」というのは、サラ・ケインがタイトル「viva death」だけが残り、中身は発表されていない幻の作品、だそうで、その作品の中身を川口が作ろうというのである。こうなってくると、川口智子の作品解釈が勝負となるわけだが、肝心の中身をサラ・ケインが残していないわけで、演出家の自由さもありつつも、サラ・ケインとは誰か?何者か?という視点でもプロットを決めていかないとならない。サラ・ケインが書こうとした(あるいは、そもそも書くつもりはなかったがメモだけした?一説によれば初稿は書いたとも言われている)「viva death」というタイトルで何を書いただろうか、という作業なのである。面白い作業である。サラ・ケインが戯曲を書いた時代は、世界は核戦争の恐怖を抱えていたし、芸術作品でも核が見え隠れする作品が多かった。今の日本で言えば、原発であったり地震、津波といった自然の脅威であり、欧米は何しろテロの脅威が作品の多くに反映される。ロッキーの敵がソ連であった時代は、米ソ冷戦時代だったわけで、007ジェームズ・ボンドの敵もKGBであった。しかし今、ボンドの敵はテロ組織であり、アメリカではジャック・バウアーも24時間テロと戦う。私達は誰しもその時代の現在に生きているわけだが、作家はその先鋭的感覚を持って生きている。サラ・ケインの言葉もまた、単に内面だけから出てきたモノローグの羅列ではなく、その背後には、世界の何かを感じ取ってしまったが故の焦燥と疲労、あるいはその反動であるかのような楽天的快楽という行き来があるようにも思う。

川口は「ビバデス」のラストシーン、ペンキで壁に「help me」と書く。サラ・ケインは「ええーい、もう知らん!死んじゃえ!万歳!」ということで「viva death」と書いたのか、それとも、闇の中に光を感じ、死をむしろ人間の希望と捉えたのか。どちらにしても「助けて!」と心の中で叫ぶに値する枯渇はあっただろう。その先には、だって私たちにはまだ死ねる楽しみが残っているじゃないか!あるいは、なるようにしかならん!!!という屈折した希望もあるかもしれない。

さて今回の「川口智子の目論み」は、テーマやコンセプトの構築という作業の中で見ることができる。演劇的手法でダンスを創造することで、どんな作品ができるか、という技法のコンセプトもある。果たしてどんな作業によって作られていくのか。鳥取でのレジデンスクリエイションも始まって、滞在制作が始まった。どうかコンセプトの提示のみを巧みに見せる作品にならぬよう、期待している。知的なアプローチは時に安直であり、観客に「これを理解せよ!」と説くはめになり、観客は客席に取り残される。さあ、いかにして川口智子は、演劇とダンスを料理し、世界というものを描き出すか。

さて、これらのテーマをどう「振付」していくのか。
次回は、その話に突入!の予定。

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