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踊りに行くぜ!!II vol.5 » Blog Archive » セカンド5年目を終えて、ダンス作品考。作品について語るということ。

踊りに行くぜ!!

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2015年4月13日
セカンド5年目を終えて、ダンス作品考。作品について語るということ。


東京公演 アサヒアートスクエアで。Aプログラム3作品のメンバー記念写真

>>始まりはこうだった

“ダンス作品”ってどういう作品のことを言うのか?というより、ダンス作品に何を期待するのか、何を求めているのか?に近いのかもしれないが、この「踊2」を開始するきっかけとなる5年前にこだわった自問自答でした。

全国巡回公演「踊りに行くぜ!!」を2000年に開始して10年が経過、いわゆる“コンテンポラリーダンス”という単語が一般的に定着してきた頃、許容範囲の広い表現にあやかり、手に入れた多くのプラス要素と同時に退化してしまった、と言ってしまうと残念感がありますが、いつの間にか抜け落ちてしまった要素、これに満足してはいられないという危機感のような空気が、どことなく漫然と存在していように思います。それは、“ダンス作品”の持つ意味や作品性を問うこと、舞台作品の役割は、どこに向けられたものなのか?という問いだったのかもしれません。

そう思うのは果たして私だけなのか、はたまた観客は、振付家は、批評家は、劇場やプロデューサーはどう感じているのか?本音を知りたくて、「踊りに行くぜ!!」Ⅰ(ファースト)最後となるvol.10伊丹公演で、「これからのダンスに思うこと、なんでもあり」の一人5分間の大スピーチ大会を企画。奇しくも先回の「踊2」vol.5に参加した桑折現さんが、そのスピーカーの中の一人だったり、目黒大路さんの作品が、伊丹公演の上演作品だったことは、何か因縁を感じます!

そのようなバックグラウンドの中、ともかく何もないところから、新作からつくってみようというセカンドを開始して、“ダンス作品”を発明すること、すなわち、何をもってしてダンス作品というのか?を見出す機会にしたいと思いました。何故ならそれを私たちが欲していたし、舞台作品が社会にとって意味の成すものとして、存在させる必要に駆られていたからでしょうか。

オーガナイザーは、具体的に制作する環境を提供し巡回公演で上演できるフレームを準備する。各々の作家は、独自の手法を見つけ作品制作し、それを観客の前に差し出す、そしてその作品が各地の観客にどう受け止められるのかまで見届ける。劇場・企画主催者と、作家と、観客の3つの立場が必要なプロジェクト。“ダンス作品”とは私たちにとって何なのか? 作家は何をつくりたいのか?をそれぞれの立場で探すこと。5年を経た今回、紙の上のコンセプトだけではなく、ようやく、実感としてこのプロジェクトの目指す絵が見えてきたように思います。

>>何がどう見えてきたのか?

 “ダンス”そのものを語るとき、その素晴らしさをどう言葉で伝えればよいのか、ダンスという表現はとてもやっかいな代物だと思います。ピナ・バウシュの「とても大切なものって、どうしても説明できないことがあると思う。」というフレーズが、心を打たれるダンスを観たとき想い浮かびます。と同時に、何をつくりたくて、何をみせたいのか、作品が上演されたあとも「言葉で説明できない」という振付家の正当的な言い分に、同意し難かった経験もあります。


(福岡公演 イムズホールのロビーにて。 桑折現と飯名尚人)

作品制作から巡回公演までを遠く離れず取材した「報告するぜ!!」の飯名尚人さんから、今年の上演作品ABCプログラム全10作品を評して、「どの作品も楽しいだけの作品はなく、何らかの影や時代を反映させる負のモチーフが見え隠れする。これって、本来ならば、美しいものを美しいと表現するダンスの大らかな表現がなくなってきているということ。このことは、社会の持つ問題なのではないか。」と。この話を聞いてしばらく後、数年前の米国の振付家リズ・ラーマンの言葉が重ね合わさり記憶が蘇った。

確か2006年頃だったろうか、リズが京都に来ていた時、「踊Ⅰ」東京公演があった。京都から新幹線に乗って一人で浅草まで観に来てくれたリズを送りに駅まで行った時、突然泣き出した彼女にびっくり。涙の理由は、「上演された作品がどれも暗く苦しく、時代に圧迫されているようで、現代の日本の若い作家たちはこんなにも辛い心で生きているということなのだろうか。私にはそれが見えて・・・。」と。当時そんな風に作品を捉えることができなかった私には、そこまで思うリズの感性は新鮮だった。

何も60年代の舞踏だけの話ではなく、近年においても、舞台と社会はガッツリ当たり前のように影響し合って存在している。ダンス作品は、作者の意識・無意識に関わらずその果たす力や役割が備わっている表現であるということ。ただ、そこをあえて意識的に語ってこなかった私たちにも、少なからず責任はあっただろう。何時の時代も、コンテンポラリーの表現は、その時代を写す鏡であるはずだ。

>>5年目vol.5のAプログラム3作品

3作品ともに同時代性のあるテーマをしっかりと作品に封じ込めつつ、ダンスでしかできない表現を発明しようと面白いアプローチをみせてくれた。

「#1天使ソナタ」・・辻田暁のダンスから台本を立ち上げ、内なる言葉を探し続けた川口智子。その言葉は、振付家・ダンサーと音楽家に向かって放たれ、また、戻され、その繰り返しの永遠の作業は、核・戦争を有する現代から次の世への生を見つけ出そうとする行為と連なる。それは、「さて、どう生き延びようか私たちは!」という願望にゆきつく行為をダンスと音楽で提示した。この作品は連作#10まで続く構想らしい。

「To day」・・日常の中に見えない存在を見ようとするとき、自分にだけ何かが見えたと信じられたとき、それが明日への糧になることがある。それを舞台作品という虚構世界で表出しようという桑折現の試み。舞台だからこそリアリティを感じさせることができる<無作為と作為>という舞台のルールの裏を駆使した、桑折の企みではなかったか。ダンス・音楽・美術の個から連動する表現へ。

「ナレノハテ」・・無益な体をライフワークに活動する目黒大路が、舞台上で表現することへの疑問を投げかけ、自己否定をしつつ進行する舞台機構をつくり出した。怠惰とユートピアをモチーフに、体と言葉で応戦。舞踏家・戯曲家・パフォーマーという一芸に秀でた表現者が、ダンスをつくり、ダンスを壊した挙句、最後に残る人間の正義とは何なのか、を客席に問われたように思う。

<上記舞台写真は全て東京公演より photo:前澤秀登>

>> ダンス作品を語る意味

 vol.5では、巡回公演を経て作品が固まってきた終盤、「報告するぜ!!」で、Aプロ3作品について、“ネタバレ感想トーク”という企画を行いました。
飯名尚人さんと私が、Aプロ3作品についてあれこれと作品をみた感想をトークするというだけなんですけど、作品をネタにイメージや思考が開いていくようで、非常に面白い時間となりました。ダンス作品を肴に一杯、やろうかみたいな。二人とも下戸なんでお茶でしたけど。
ネームバリューがないアーティストの新作制作の企画はともすれば、注目されない風潮が否めず、それを払拭する目的もありはしたのですが、何にせよ「作品について語る」という場をつくりたかったからです。
*こちらからどうぞ→ 「#1 天使ソナタ」 「To day」 「ナレノハテ」

ダンス作品を観た後にする会話が、ダンスの技巧にとどまることが多く、作品そのものを語ったり、そこから見えてくるもの、膨らんで脱線するかのような会話が乏しいように感じ、ちょっと寂しいなあと思うこともしばしば。思い切って作品について語り始めると、作品自体の持つ意味が広がっていく。<ダンスを語る>という行為は私たちを取り巻く社会や、人や、美や、文化、政治や幸福を語る行為となり、それ自体が舞台作品・ダンス作品をつくることを押し上げていくことになるんだと。そういう力が、もともと、ダンスにはある。そして、それでも言葉で表せない表現が最後に残り、ダンスが迫ってくる。
そのことをvol5のAプロ3つの上演作品は、手ごたえを実感させてくれたのです。

ダンス批評や舞台評論という表現や発表する媒体が瀕死状態の日本では、作品評や、この「踊2」で発明したことや、どうやって作品が生まれてきたのか、をテキストで残す機会が希少です。だったら自ら“ダンスを語る”という場を恐れずつくっていけば、いいと思います。

>> 5回目にして何が見えたのかというと、

今のこの時代に、ダンスがもたらす価値は、私たちが考えるほど捨てたものじゃないのかもしれません。余暇を楽しむことよりも、明日の世界はどうなっていくのか、という不安のほうを切実に感じていることを多くの人が解っている時代。だからこそ、芸術というものが生きていくために必要なのだということが、とても説得力を持つ時代になったと感じています。「踊2」では、ダンス作品を軽やかに、濃く、楽しんで新作制作に挑戦していきます。作品が提示してくれる想像できなかった価値や、体の威力や、ダンスという必然が、私たちに生きる勇気をあたえてくれると信じているから。

次回はどんな作品が、何を私たちに見せてくれるのか、その発明者は誰なのか、ガッツリ公募中ですので、奮って応募くださいませ。

いよいよ最後〆になりました。

この写真の人物・佐々木治己さんが、「ナレノハテ」で書いたテキスト、ユートピアを綴った素晴らしい詩「ゴンザーロ」(テンペストの登場人物)。これを中西レモンさんがまた素晴らしい節談説教で唄いあげました。これにいたく感動した私は、なんとか真似したい。そこでこれにあやかり、宴会芸用に「踊2」替え詩をつくりました。その最後の一節をご紹介して〆とさせていただきます。長々とおつきあいありがとうございました。

B,Cプログラムについて深く言及できなかったこと、次回、課題として考えています。

関わっていただいた全ての立場の全ての皆さま、ありがとうございました。次回、またダンスの発明を一緒にしましょう。

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私は全ての逆を思うのだ。
踊りきったと思った空(くう)に、描ききれない足跡を。
歌いあげたと声を嗄らした時に、歌えきれない唄があることを。
書き上げたと思う言葉に、内なる声が届けられていないことを。
つくる為に生きるのと言うのなら、生きる為に嘘をつく、その逆を。

「踊りに行くぜ!!」、私は君の行く先を知らない。
次はどこを目指すのか、何が見えてくるのか。
誰かが待ってくれているのか。
誰もが期待していないのか。
観客がいなければ、つくる人がいなければ、意味がないのだろうか。
時代遅れの波に逆らって生きていく私たち。
このような人たちがつくるものが、世界の塵として積もってゆくだけ。
ゴンザーロ。


(神戸dbにて 中西レモンさんと)

水野立子 2015/4/13

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