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参加作品・アーティスト選出方法

カミイケタクヤ作品インタビュー

舞台美術家カミイケタクヤが、自身がつくる初のダンス作品に挑戦する。7月、京都での2次選考会で「舞台を布で覆い、身体を隠したダンス作品をつくります。」というカミイケのプレゼンは、常識ではあり得ないこの方法で、果たしてダンス作品になり得るのだろうか、と論議を醸した。
結果、美術家ならではのダンス作品をつくる発想と視点の可能性に期待を込めて選出した。
ホームレスに作品の着想を得たという今回の作品制作の大詰めが、実際の舞台上で12月10日から1週間、和歌山上富田文化会館でダンス イン レジデンスを行う。その前のリハーサル中、新潟市内の稽古場を訪ねた。「身体を隠されるダンス」その行方は是か非か?


日時:2012/11/29
場所:新潟市
聞き手:水野立子/踊りに行くぜ!!2 JCDNディレクター

 



― ホームレスをテーマにして作品をつくろうと思ったきっかけはどんなところだったのですか?

きっかけというより、普段から美術作品をつくっている時に、ホームレスの人をみてヒントをもらったり、インスパヤーされることがあったんですよ。

― どういうところに?

東京に仕事でくるときに川崎に泊まることが多く、そうすると川崎周辺の多摩川沿いだったり、新宿辺りにはホームレスの家がたくさんあるんですね。それで、彼らがどういう活動をしているか、見ていたんです。昼間からすごい大量の缶を自転車に積んで、がんばって漕いでる姿があったり、意識してみるとホームレスの姿は町中でよくみかける風景なんです。
大抵、橋の下に家が在るんですが、実はすごいそれが凝っていたりするんですよ。僕は美術家の大竹伸朗さんが好きなんですが、大竹さんの有名なコラージュのように、ホームレスの家もコラージュのように貼り合わせてつくっていて、それがとてもカッコよかったり、感心するほど機能的にできているのを参考にしていました。

― なるほど。ホームレスに興味を持ち始めたのはいつ頃でしたか?

4年くらい前からですね。僕の住んでいる香川にはホームレスの人はあまりいなくて。都会と違って、地方にはあまりいないですね。逆に一人いると目立つんですよ。その頃、香川に唯一いたホームレスが、すごくおしゃれで。駅に寝ているんですが、実は、どうやらお金を持っているんじゃないか、とかいろんな憶測が飛び交っていて、おもしろかったですね。あんまり見すぎると怒られるんで、こっそり見ていましたね。

― あんまり見ると「うっせー」とか、言われる?(笑)

そうですね。普通に怒鳴られますよ。(笑)


― (笑)ホームレス観察歴長いですね。今までは舞台美術の“モノ”としてホームレスを参考に、という関わりだったわけだけど、今回は作品の内容的なテーマに据えることになるわけですね。
そこは、今までとは違いますね。それはどういった?

ホームレスって何かに属さないというか、社会からドロップアウトしていることですが、ドロップアウトといっても、社会の外って広さの制限がハッキリとあるというわけではないと思っています。区切りが曖昧であるような、ないような。

― 広さっていうのは?

例えば日本にあるひとつの会社の規模というのがあり、同じようにそれを広げていくと次は、関東の社会の情勢があり、その次は日本、次は世界、と規模がつくられていく。そこからドロップアウトしたっていうことは、世界が計れないところにあるということ。

― 全部が自分の世界とも言えると?

そうですね。そういう世界に所属してない、ということは、すごくあやふやなところにいて、それがおもしろいな、と。以前から“あやふや”ということに興味があり、グレーゾーンとはまた違った、何も所属しないものに興味があります。自分も1回だけ1年ほど会社に所属したことがありますが、あとはフリーで活動してきました。だからからか、所属しないものに親しみがあるんですよ。
具体的にホームレスの人が、どういう生活をしているのかわからなくて、“あやふや”な存在の人間をテーマにしていきたいなって思った。それって目の前から隠されていて、自分たちが外から見てわかるものではない。 『隠されている』というのが、今回の作品に重なるんじゃないか、と考えました。


― その二つが重なる『隠される』部分は、具体的には舞台が布に覆われて、ダンサーが見えないっていうことと、ホームレスが社会から隠れようとしている、という接点ですか?

そうですね。隠されることによって、違うものに見えるおもしろさがあると思います。布で覆って身体がみえなくなったとき、ダンスとして成立するのかどうか、ということで、例えば演劇だと無言演劇がありますよね?

― セリフがない演劇、無言劇、沈黙演劇?

そうです。それが成立するということは、ダンスでいえば身体がみえなくても成立するということに、近いと思っています。

― えー?うーん。それはどうかなー(笑) 
無言演劇といえば太田省吾さんの「水の駅」が代表作ですね。カミイケさんは、見たことは?

いや、全く観てないです。無言演劇は観たことはないです。

―あれは圧倒的な身体があるからね。

まあそうですけど。何か他の部分で身体を感じさせることができれば、成立させることができないかと。僕自身は舞台美術をやっていきているので、舞台美術をうまく使って、身体を隠してもダンスを表現できないか、と思ったんです。


― ホームレスというのは、家族とか、過去とか経歴とか全部わからないベールに包まれている存在ですよね。自らも隠したいだろうし、わざわざ聞く人もいないし。今回は舞台上のダンサーをあえて、見せない、隠してしまう、ってことはどこが共通項になると考えたのですか?

身体が覆れたら、これはダンスではなくなるのかな?とある時、思ったんです。いや、そうではない、と。布の中でダンスが行われていて、それによって形がつくられていくわけだから、それはダンスだなと。

― それはそうですが、にしても、踊る身体をみせない、覆ってしまうというのは、ダンス作品として在りなの?っていう、すごいリスクですよね。その勝算はどのあたりに?

それは、ダンスの原動力でつくられている、ということです。ダンスが存在しないと、別の違うものになってしまう。実際にリハーサルで布の中で踊るのをみて、予想より、正直おもしろかった。もう少し単調で飽っぽくなるかな、と思ってたんですが、予想より布の質感がよくって、踊っている気配が伝わってきて、美術がよかったなあと。(笑)
ダンサーに女性を選んだので、繊細な線の細さで形が出やすいのも良かった。今のところプラス要素ばかりです。(笑)マイナス要素はあらかじめわかっていることなので、試行錯誤を重ねていき、お客さんにみせられるものにしたいと思います。今はまだ音が完成していないし、美術の仕掛けなど試せてないことがあり、ダンス イン レジデンス の和歌山の劇場で初めて全部をためすことになります。それが、ダメだったら。。。。煮詰まりますが。(笑)


― なるほど。12月10日からでしたね。和歌山で試してみて、いろいろ明らかになりそうですね。実際にやってみて、その時点でダメだーとなると初演まで時間ないですねー(笑)

まあ、そうですけど。(笑)いや、ダメだと予想してここでのリハーサル中に、別の案も同時に考えていきますよ、もちろん。

― 是非―。では、先ほどの作品のテーマの話にもどるのですが、今回の作品で一番伝えたいことは何になるのでしょうか?

よく言われることなんですが、「幸せは、人それぞれ」ということです。ホームレスの人に取材を何人かしたのですが。

― どうやって取材したの?テープレコーダーで?

いやカメラとか録音機は、皆にやめてくれって言われました。そういうのを使わないで話すならいいけどって。

― なるほど。何歳くらいの人?

わりと若いですよ。30代後半くらいかなあ。「ちょっと、いいすか?」って感じで近寄っていって、コーヒーとか出したりして。(笑)まあ、断られた人もいたんですが。話を聞かせてください、っていうと普通に話してくれますよ。その話の中で「俺は幸せだよ」って言った人がいたんです。

― それは「あなた幸せですか?」って聞いたの?

いや全然聞いてないですが、「幸せだよ」って自分で言ったんです。
僕は、やっぱりはたからみると、絶対ホームレスって幸せじゃねーだろって、思ってたんです。四苦八苦して人生挫折して、よくないことがあって家を失って、ホームレスになったんだと。いい人生だとは正直思えなくて。だけど、その人は「いま幸せだ」って言って。おそらく過程で幸せの定義というものがズレていったんだと思うんですよ。だけど、普通に「幸せだ」って言ってたんです。


― カラ元気じゃなくて?

いや普通に言ってました。それを聞いて、そうなんだなって、思えた。正直、取材をする迄は、作品の結末をどうするか、見えてなかったんです。もっと生きているぞーっ、ていうものにしようと思ってたんですが。そうではなくて、ひたすらごろごろして、死んでんだか、生きているんだかわからない生活してて、だけど、本人はそれが幸せだし、それがいいんだな、っていう。それに対して僕が、「幸せじゃねーよー」っていうことは言えなかった。

― インタビューは、質問を決めてやっていたの?

いえ、特には決めていないです。実際、インタビューしても、確信を持てることはそんなに聞けていないなと感じたんです。過去のことを聞くと口ごもる人が多くて、そういう場合は見栄をはった話が多かった。本当なのかな?ということがほとんどだった。その中で、そのホームレスの人が言った「幸せだよ」というのは、本当だと感じました。投げやりじゃなくて。

― それで、「幸せは人それぞれ」ということになったんですね。

そうです。その人の「幸せなんだよ」と言った、そのときのニュアンスというか、感触を伝えたいです。言葉でうまく説明できないんですが。

― 本当にその人が言ったことをそう思えたということですね?普通は、ホームレスの口から「俺は幸せだ」なんて聞けると思えないわけだしね。それなのに、ある意味、究極のような、そういう言葉が出てくる境地は何なんだろう、という?

その状況で幸せだと言える、その言われたときの感触というか、それが大事かなと。それを作品の最後に伝えられたらいいなあと思って。


― 普通の人が「幸せです」っていうと重さがないし、流せちゃうからね。本当に幸せだと思えることは、何だろうと。

説得力があったというか、自分が納得してしまった。欲がないから幸せだと言えるのかな。

― これ以上何も望まない人しか出てこないニュアンスだよね。坊さんの境地(笑)

いやー(笑)僕は坊さんになるつもりはないですけどね。
あきらめるというより、生活していくうちに、無自覚にずれていって、そこに達したんだと思いますよ。だってゴミ箱を平気であされるようになるということは、知らない間にズレていったということ。段ボールの家に住むというのだって、いま自分がそれをやれ、と言われたら、ただの罰ゲームかギャグにしかならないわけだし。そのズレていった感覚というのを作品の中で、最終的に幸せだという感触にたどり着いて欲しい。

― 誰に?

観ている人も、公演中に作品を観ているうちに、感覚がズレていってラストのシーンで、どこかに辿り着いてほしいと思うんです。実は、どこかで僕はそのホームレスの感触、その人に近いと思ってます。

― 解脱した?(笑)

いや、そういうことじゃなく。僕も幸せですから。(笑)隠すということから、ズレるという感覚が生まれて、知らないうちに隠れる、隠すということさえも見えなくなってくる。そして最終的にはそれが幸せなのか、幸せだという答えじゃなくてもいいんですが、その感覚になっていくということでしょうか。

― なるほど。そうなってくると、いろいろ見えてきますね。この幕はいったい何なんだ?ということとか、この世界はホームレスの目線でみせているのか、とかね。隠す、隠れている、ということさえも、世界と自分のズレが生じてきてしまう現実とか。俄然、妄想と想像が膨らむ作品になりそうですね。幕の存在によって、この作品の視点が常に2つの世界でつくられているということも、新たな展開を生みそうです。和歌山で存分に試してきてください。初演を楽しみにしています。
ありがとうございました。

出演ダンサー左:渋谷陽菜 右:加藤千明

途中経過発表情報

日時:12月15日(土)15:00
場所:上富田文化会館
参加無料

作品紹介

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