アーティストインタビュー
- 2015年1月22日
- 大園康司インタビュー[B リージョナルダンス:松山]
Bプログラムリージョナルダンスの振付・構成・演出を手掛ける大園康司と、大園と共にダンスユニットかえるPで活動し、今回のアシスタントを務める橋本規靖に、踊りに行くぜ!!Ⅱ(セカンド)vol.5松山公演の共催・制作をしているdagdag Matsuyamaの2人(赤松・高橋)が、松山公演に向けて来松した2人にインタビューを行いました。
2015.1.14(wed)@ダンススタジオ モガ
大:大園康司
橋:橋本規靖
赤:赤松美智代
高:高橋砂織
テープ起こし:佐野和幸
高:今回の「踊2」の松山での滞在滞在は、昨年から数えて3回目になりますが、松山の様子はどうですか?来るたびに違いますか?
大:もうホームみたいですね。来るたびに見える街の景色が違います。
高:地元とは違う場所で創るのは初めてですか?
大:初めてですね。こういう環境で創るのは初めてで、それだけで最初は新鮮でした。ただ、何の為に普段暮らしている所とは別の所で創っているのかを考えた時に、松山ならではのことをしようと考えるのではなくて、東京で自分達がやっていて魅力的に感じていることを松山でやってみようと思いました。そうすると、東京とは違う反応になると思うんです。
いつも自分たちが創っている環境は、ある程度あうんの呼吸だったり、こういえばこうくるというような返しも大体想像ができてしまいます。しかし、松山だと思ってもみない反応が返って来る。その思ってもみない反応に対して、こっちがどうするかによってここでしか出来ない物が生まれてくると思っています。いかに自分達の色を出して、どれだけ引き出せるかですね。
赤:いつもは何をおもしろいと思って、どんなものを創っているのですか?
大:ここ数年は2人の共作がほとんどなんですよ。2人のどちらに主導権があるわけではなく、相談しながらテーマを決めていきます。話をしていくと結果的に普遍的なものに行きつくことが多いですね。例えば・・・太陽ですね。
赤・高:太陽?!
大:THE SUN!!です。(笑)壮大なテーマですが、自分達にとっては日常の細かい一部なんですよ。一見遠いものでも自分達にとっては表裏一体と思っていて、隣り合わせというか内在している日常と非日常。そういうものを露出させるものがダンスの役割だと感じています。この認識は2人共通のもので、いつもそこから何を創っていくか考え始めます。
[身体について~大園・橋本の作品制作法]
橋:テーマと共に自分が意識していることがもう一つあって、それは身体です。人間も動物もそうなんですが、生き物の身体を感じていたいと思っています。心臓の音、脈の音、皮膚をたたいた時の音など生の音を感じたいと思うと共に、そこから感じる痛みや気持ちの感覚をダンスにしていきたいと思っています。それが作品を創る時に、暴力的になることもあります。例えば、人を踏んだりとか。。。
高:あー。そういえばトレーニングが凄い激しかったんですよ。大園トレーニング。
大:その根源は橋本にあるんです。橋本メソッドですね。
橋:自分はスポーツトレーナーをしているんですが、ジャンルの決まったダンスやスポーツは身体の使い方が限られるんですよね。それを取っ払って思い切り身体を使うことでスポーツにも似た、人を巻き込んだ感動を与えられると思っているんです。
赤:日本舞踊をやっていた大園さんにとって、橋本メソッドを知った時はどうだったですか?
大:知ったというか確立されたものとして捉えていませんでした。彼と知り合って5年になるんですが、この5年の中でお互い関わりながら、変わりながらきているので、その中で見つけていったところがあります。そしてこのやり方が今はしっくりきてるんです。これからどうなるかわからないですけどね。
赤:今回大園さんが振付となったときに、橋本さんがどう関わってくるのかなって思っているんです。
大:今回に関しては、最初から相談しているんです。僕が創ることになっても、材料を出して、それに彼がくさびを打ち込んでくれるんですよ。
高:共通言語もあるけど、刺激をくれる人なんですね。
大:出した材料を言語化することに関して、1人だと限界があると感じていて、橋本の存在はとても心強いですね。
高:今回のダンサーも7人いますからね。
大:そうそう、松山のダンサーもみんな出自が違うじゃないですか?出てくるもの、出できた場所が違いますからね。
高:どうですか?松山のダンサーは?
橋:楽しいですね。
高:橋本さんはまだ1日だけど、大園さんが10月来て、11月に10日のワークをしてくれてから、松山のダンサーも変化を感じてきているんです。日々受けているダンスのレッスンの受け方も、日常生活もちょっと違うって言ってくる人がいるんです。大園さんがいなかった12月はみっちり自主稽古していたんですが、1月の身体ってどう感じましたか?
大:前進半分、後退半分って感じですね。どうしても普段の暮らしに取り込まれることがあるから、薄まりますね。ただそれが全部ネガティブな要素ではなく、日常が入り混じるからおもしろくなることもあります。人によって意識の差があって、洗練されている人はそのままいってもらって、そうではない雑味のある人、その雑味をどう活かすかって感じですね。
高:それらを1つにするんですか?それともバラバラのまま?
大:人それぞれの魅力を引き出して、結果的には1つにしたいと考えています。
高:大園さんがいない中でみんな悶々としていたんですよ。外から見ていて、その悶々としている様がおもしろかったです。
大:そうでうね。その過程でどれだけさまよったかで深みが変わりますね。なんというかダンスは一生かけて創るものって思っていて、今回はその中の一部なんですよね。自分の今回の役割として、この作品のダンサーの人生にくさびを打って、観ている人に感じてもらって、そこから次の芽を出していくプロジェクトに関わっていると思っています。作品を創って観てもらうことで、そこに暮らしているそれぞれの人の生き方に影響を与えたいなと思っています。
高:自分が出ないっていうもどかしさってあるんですか?
大:ありますね。自分達が出るとなんだかんが自分達でケリをつけたがるというか。。。
高:わかる!
大:過去に1回だけ経験がありますが、こういう規模は初めてですね。
橋:思い通りにならないことがたくさんありますね。
高:思い通りにならなくて、ああそうくるんだ、という発見もあれば、うーんとなってしまうこともありますよね。
大:でも、自分達が出ないことを良いように作用させていかなくてはいけないよね。
橋:そうだよね。
大:先輩としてお2人にお聞きしたいのですが、普段自分が出ないときはどうしています?
高:私としては、譲れないものは譲れなくて、何を突き通して、何を譲るかというところにおもしろさを感じます。でも、みんなぐしゃぐしゃであってほしくて、それでいて自分はこーだーという主張は持っていてほしいです。
大:あー、たしかに全部がコントロールできるとおもしろくないですよね。なるべくコントロールできないシーンやコントロールできない人を入れていくことで生まれるおもしろさはありますよね。ある意味素人気質がおもしろい。今回はそういった人が介在しているので、そういう意味ではおもしろくなる予感はしています。
高:あと、今回男性が2人で女性が5人ですが、そこについてはどう思っていますか?
大:性差はあまりありませんね。僕は、振付をするにあたり、女性らしさ、男性らしさはなくて、彼らを生き物、人間として考えています。
赤:へー、それはなぜですか?
大:見栄えとしては気にするけど、動きを振付ける時は、それを切り離して考えていて、純粋に身体ということに向き合うことを大切に考えています。
赤:橋本さんが思う魅力的な身体ってどんなものですか?
橋:魅力的な身体?(笑)えーっとですね、例えば、動物園に行って動物を見た時のことなんですが、動物達は自分達の身体を見せようとして見せている訳ではないのに、そこに存在感があるんですよ。
大:作品の1つのキーワードとして<祭り>があるんですが、祭り自体を表現したいわけではないんです。表現したいことがあるならば、祭りがあることによって起こっていることだとか、人の感情、祭りにとって影響される人の揺れ動きや感情の発、人と人が関わり合う事によって生まれる揺れ動きの方が重要だと考えています。祭りというのは、それ自体で成立しているものではなくて、普段の1日1日の生き方や生活があってその中のハレとケ。それがあるから祭りが成立すると思っています。そこに暮らしている人がいて、そこに祭りが存在している。それが重要だと思っているんです。
例えば、海野さん(松山在住の画家)から聞いた話で印象に残っていることがあって、それは、過疎化が起きている島で何百年も続く祭りがあって、その島の祭りをやる人間が居なくて廃れていっている中、その祭りを存続させるためだけに、祭りの期間だけわざわざ島に戻って来る人々がいる。それは本当の祭りではなく、祭りというのは暮らしている人のためにあるものであって、イベント事っていう一側面の楽しいことだけを切り取っていたのでは話が違うと思う。という内容でした。
この話を聞いて、僕もそれをすごく感じていて、このことは今回の作品とも繋がっています。その場所に、暮らしている人がいて、その人の暮らしがあって、その延長にある祭りだから意味がある。そういうことに着目していて、それをキーワードにして作品を創っています。
高:それは、生きていることや日々暮らしていることと繋がっていて、ダンサーにとっても等身大で臨めそうですね。タイトルの花吹雪の背景に祭りがあって、それが抽出されて良いものに繋がっていく予感がします。描いていた花吹雪と、今ある花吹雪はどうですか?
大:描いている花吹雪は1枚の絵にあるんです。そこが原点ですね。(みんなで1枚の画像を見る)
しかし、作品は独創的でなければいけない。やってみないと分からないですね。でも、こうやって、松山の流れの一端を担えるのは嬉しいです。今回の企画を通して僕自身も変わってきています。いろんな人と関わって、揺さぶられて、今まで考えたことのないことを考えているので、気付きがたくさんあります。
橋:バックボーンが違う中で、言葉の解釈や何を大切にするかも地域によって違うのでおもしろいです。東京だとある意味コントロールできてしまうので、今回自分達の色をどれだけ出せるか楽しみです。
赤:あと数日で幕が開きます、松山のダンサーがはじけるといいなあ。