報告するぜ!!
- 2015年1月10日
- 「#1 天使ソナタ」演出家、川口智子に聞く。Vol.2@城崎
(テキスト:水野立子)
2日前、城崎国際アートセンターでAプログラムの3作品が一同に会する途中経過発表を終えた。
それを踏まえ年内できる制作スパートをホールで2回程行い、城崎温泉で体を伸ばし、東京に帰る前の一時の川口を捕まえた。
暮れ正月を挟んですぐの巡回公演での初演、札幌公演を目前に控えた川口智子へ、水野から一問一答を行った。
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Vol.2@城崎国際アートセンター 2014/12/17
テープ起こし:渋谷陽菜・竹宮華美
聞き手・編集:水野立子
<川口智子にとってのダンスのリアルさ>
[@城崎国際アートセンター photo:naoto iina]
― 鳥取のレジデンスの頃、「今回は英文学はなしだね、カッコいいセリフも!」とか川口さんをいじめていたね。どう思っていた?(笑)
ふふふ。いやー最近、和語にはまっているんです。自分の中で翻訳語の前に何かヒントがあるんじゃないかとホントに考えていた。内山節さんという哲学者で東洋思想の方の影響。でも一方で、明治維新にはじまり戦後の日本の教育のなれのはてっていうか、だけど、そのこと自体が私たちの世代にとってはアイデンティティーになっているのは否定できない。特に私はヨーロッパへの憧れがすごく小さい頃からあったので、日本の文学を読まずにきてしまって、それは弱いと思っています。本棚みても翻訳書ばっかり。
― 小さい頃から本当にそうなのね、血肉に染みついているのだね。川口さんにとったら、サラ・ケインのテキストはきっと自然にはいってきたんだね。翻訳の文学を読むとどうしたって、白々しく感じてしまうところが日本人ならあるかなと。日本人が日本語の日本文学読むのとは、やはり違う。
留学する前にある人に「君のスケール、物差しが、日本とあってない可能性があるから、行っちゃったほうがいい。」と言われて、そしたらイギリスに行ってすごく楽だと思った。でも結局、言葉が違うことにすごく悩んで、ここでは私は演劇を作ることが出来ないから、日本に帰ろうと。いまは、東南アジア・日本の文化思想のルーツになっている方に行きたいと、葛藤している状態です。夏の「踊2」の選考会の私のプレゼン聞いて、よく「この子頭おかしい」と思われなかったなと。(笑)私の生きてきた中に、明治維新から現代までの全てがあると言いましたからね。新しい時代を作るときに私たちのこの感覚でもって作るのでいいんだって、最近は、開き直っていますね。
― これはダンス作品だ、演劇作品だ、という意識を変えてつくるの?
今回どういう感じにしようかなという中で考えています。この数年とりくんでいる『クレンズド(cleansed)』のシリーズも、セリフはたくさんあるけど、ダンスだなと思っている。言葉がずれているのかもしれないですね。今回はライブだと思いたいところもあって。ソナタで言うとライブというか音楽でありたい、ダンスよりは音楽でありたい。音楽を踊るっていうことが今回の通底していることで。私は文字を踊らせることをやらなきゃいけない。そのズレ、音楽を踊りたいと思いますけどね。
―「ソナタ」ってカッコいい感じじゃない。どうしてタイトルにしたの?
すごく悩んだんですけど、『#1天使』でも良かったんです。でもそうすると辻田さんを天使としてみようとするじゃないですか。でも“天使”の言葉の意味も、日本には入ってきていない概念だと思うから混乱するので。それじゃあ分からなくしようと思って『天使ソナタ』にしたんです。
― 川口さんにとって踊るということをリアルに感じることはある?
メンバー間でお互いに質問するというのを久々に森下スタジオでやったとき、辻田さんが「自分をONでいさせるための方法ってなに?」と質問して、私は「道端で踊る」と答えたら驚かれた。でも、そうでしょうって。私はある一時期から常に踊るっていうことを考えようと思ったんです。丁度10年前ぐらい。写真家はシャッターを押す瞬間に踊っているし、作家は文章書いている瞬間に踊っているし。私はいつ踊っているだろうと思って。読んでいる時に私は踊っていると思った。そこが、ダンスの最大の可能性。衝動的な事だったり、リアルな核の部分だけがダンスだとしたら、もしかしたら、何か抽出できるかもしれないと。
―すごい、それ聞いたらダンスの人だね、演劇の人じゃないよ。(二人大笑)
演劇も踊るんですよ。
― ダンス作品には、踊っている体が存在してほしいかな。テクニックの問題ではなくて。演劇も体が踊ってないとダメだというけど、言葉が溢れている分、どうしたって身体を踊らせるのは難しい。
それでも演劇のリアルを追求するなら、その舞台上の空間に居て、“踊る”しかないでしょうね。
<アーティストとして生きること、あたりまえに生活して作品をつくっていけばいいんだ。>
― 初めてAプログラムの3作品をみて、昨日の途中経過発表はどうでしたか?
目黒さんと桑折さんの作品を観られて良かったです。似ているところと、違うところに意識的になれました。共通しているところとして、今の劇場に対しての意識がある人たちなんだな、と思ってすごく元気になりました。今この3組でAプロができるということが、私なりに楽しいと思っています。その中で、私たちが得意とすることってなんだろう、と考えると、それは時間の積み重ねだなと思って。演劇的な時間の積み重ねに、3人それぞれの時間と、お客さんの時間と、色んな時間が積み重なって、それが演劇的な時間として立ち上がる。私が今こだわってることだし、うちのチームに一番強みとしてあったらいいなと思っています。
―初演まであと一ヶ月となりましたが、一番ワクワクしている部分と、不安なこと、どんなこと考えていますか?
あっという間に初演がくるだろうなと。ちょうど1ヶ月後ですけど。3人出会う機会が限られているのでどう過ごすかな、というのが楽しくもあり不安でもある。鳥取のレジデンスの最大の成果は、作品をつくること自体が生活の一部になっている恵まれた環境でした。そこで、私たちは作品をつくって良いんだという、そのことを鹿野のおばちゃんに、「あんたたちはやりたいことをやればいい。」と言われた時に、それで良いんだと思って。直接的には生産しているようには見えない隙間を「やってていいよ」と言われたことで、生活とクリエイションが近くなった瞬間。そういう感覚を3人とも持ったので、この1ヶ月どう過ごそうね、っていう話をここに来る前にしたんですけど。過ごしてればいいんだと。生活をしていて、そしたらそれが作品をつくることに直結するんだ、と。自分が過ごして得たものが舞台のなかに返ってくるというのに差がないということを感じましたね。
<移動する作品、移動する必然>
―東京でつくっていたときは、どう考えていたの?
どちらかというと生活を過剰にすることによって、作品つくっている時はこうだし、つくっていない時はこうだ、とか。特に私はあったかなと思う。24時間アーティストで居て良いということを鳥取を通して気が付き、そうじゃなきゃダメなんだな、ということをすごく思ったんです。今は比較的楽だし大変。期待と不安が両方。あとは辻田さんがお餅食べ過ぎて太らないかなとか。(笑)
―東京で上演するのと違う?
違うと思います。京都に行った時に思うのは、京都のお客さんって広い空間に慣れている。お寺が街中に堂々とあって、中に行くと音が反響してっていう環境が、お寺に入っていなくてもそれがあるっていうので全然違うし、建物1つ1つも大きいと思う。存在感というか。東京は遠くが見えなくなっていて、鳥取では遠くが見えると思う。そのお客さんが持っている感覚やスケールを知らないと、不安になる。一方で、東京のものが来たというのはすごく大事なテーマだと思っていて、どこかで流れ者が来たということを大事にしていきたい。それが「あなたたち好きなことやってればいい」っていうのと関わっている気がして、異邦人を受け入れてくれる場所。私たちは異邦人でいなきゃいけない。移動し続けるということは異邦人でいるということなので。
―じゃあ、東京にいるときは何者なの?
東京は空港みたいな場所。だけど次に行くところがない。どこかに旅立てないというのが東京の行き詰っているところ。あと暗い部分がなくなって、危ない場所が無い。だから、劇場がどうやったら危ない場所になるか考えるのかなと思う。
<「“生きていくのだったら、人を愛していたいな”というのがある。世界も。」>
―飢えているよね。正しいものとか清らかなモノがあふれていて、ヤバイものとか汚いものが、みえないよね。だから舞台ではみたいなあ。
逆に言うと本当に美しいものも見られないのが東京。カフェ好きですけど、全部カフェになっちゃったっていう。そのカフェも人と繋がらない場所になっていて。それがすごく嫌で。私が「移動がテーマ」といい始めたきっかけがインターネットやSNS。どんなに“繋がって”いてもその人に出会わなければわからないことがあるなって思ったから、自分が動くしかない。作品が移動していけば変わってしまうと思うし、作品は変わるべきだと思う。移動は時間をさかのぼることは決してできない、かな。
―巡回公演で移動していくということは、どういうことになるの?
やっぱり、戻ることのできない旅路。作品の。汚して、片づけて、また汚して、また片づけての繰り返し。でも、汚した、っていう事実は決して消えない。
―今一番届けたいと思っていることは?
これを言うとくさくなるけど、“生きていくのだったら、人を愛していたいな”というのがある。世界も。それしかないんですけどね。生きていくのだったら。
―それをできるようにならなきゃいけないし、なりたいと思うけど、そのためにどう生きるか。それが難しいね。
過激に感情が動くことが封印されて、皆が理解できることだけが残っちゃった時に、もっと美しかったなとか、もっと人と関われるなということを口に出すことがすごく難しくなって。口に出さなくてもいいんですけど。言葉で語るとアーティストじゃなくなっちゃうから。
―昨日の最後の通しを観ていて最後のシーン、三人がバラバラだけど、それぞれが世界に対してアクセスしている、象徴的な場面として心に残りました。3人がそれぞれに世界を愛せる、ということを客席が体感できれば成功だと思う。札幌まであとひと踏ん張り、初演楽しみです。