報告するぜ!!
- 2014年12月16日
- 目黑大路「ナレノハテ」出演者に聞く(後編)
2014.11.19
森下スタジオにて
テキスト:國府田典明
目黑大路さんチームインタビュー後編。「日常性から少し浮き出ている、はみでちゃってるように思える何かしらに出くわしているんでしょうね。」前編で中西さんの言葉。作品の作り方や、”動き”の興味について、「ナレノハテ」出演の目黑大路さん、佐々木治己さん、中西レモンさんの三名に話を聞きました。
ーアスベスト館に入って以降、動きはどうやって習得していったんですか?
目:動きは自分で試行錯誤してましたね。アスベスト館の時はね。Ko&Edgeにいったら室伏さんの表現があるので。とにかく場数でしたね。室伏さん、倒れるですけど、あれもちょっと教えてくれるけど、あとは舞台でやれ、みたいな感じで。怪我しないぎりぎりの所で避けろ、という事くらいしか言わない。
佐:前橋で見たときかな、室伏さん怪我してたよね。背中に針金当たって、血が出てた。
目:でも、そのぐらいだったらOK。
中:僕が見たときも背中擦りむいてた。背中から行くからね。
佐:皮膚はOK?骨とかは?
目:骨とかは(NG)。腫れたりするのとかはOK。
佐:うちみはOK(笑)
目:そこで暴力的に身体を使うから、だからあまり怖くなくなってはいますよね。倒れたりするのとかは。
ー作品を作る際の、ノウハウはあるのですか?
目:未だに作品づくりのノウハウはないですね。メンバーが変われば作り方も変わるので。今回は、前々からやってみたいメンバーだったんですよね。今まで機会がなかったので。
佐:つくりたいって思っていたのは、昨年目黑さんと稽古した時に話をしていたのも、僕はきっかけとしてありますね。ニューヨーク行く前の、「この物体」という作品。
目:テキストを佐々木君が書いてくれて。
ー映像を少し拝見しましたが、横に動くのが特徴なんでしょうか。
(目黑大路オフィシャルウェブサイトの映像 http://daijimeguro.jimdo.com/video-1/)
目:あれは、その「この物体」という作品の時にやっていた動きですね。
ーあのような動きは、どうこだわっていくものなんですか?試していく感じですか?
目:いろいろ試しますね。試してみて、これはいいなと思うものをピックアップしていく。
ーそれは身体から進める感じなんですか?こういう画を作りたいというイメージとかあるんですか?
目:同時進行ですね。
佐:目黑さんの作り方は、きれいな舞台を作りたいというよりは、今自分たちの身体ってどうなっちゃうんだろう、っていうようなアプローチをしているのではないかと。
中:確かに。前に見た目黑さんの作品で、どういう風に身体がなっていくのか。なにか目的を失って身振りの行く先が見えないような、そういう動きがあったりしてね。
ー振付の方法について聞きます。メンバーに関係性があって取り組む場合は、想定や期待を持って臨めると思うんですが、初めての人とやる場合はどのように取りかかるんでしょうか。
目:初めて一緒に作品をつくる人の場合は、メソッドをやってもらうことが多いですね。体系化されたものがあれば、伝わるのが速いので。でも、そのメソッドが合う人もいれば合わない人もいるので、合わない人にはどうしようか考えて、いろいろ試します。
ーダンステクニックのような事でやっていくんですか?
目:私自身、これといったダンステクニックはもってないです。動きと踊りの間みたいなのが好きですね。そこを探すのは難しいんですけど。
ーその(動きと踊りの)間をやるというのは、どういう所に目黑さんは惹かれているんでしょうか。
目:例えば、自分のコントロール外に行ったの身体というのは、私にとってすごく魅力的ですね。社会的には、そのような身体や動きを魅力的というと問題なのかもしれませんが。普通の動きではないけど、踊りではない。そういうものに打たれますね。
ーそれは、何というんでしょうか、生命的なもの。
目:わからないですね。
ー美しいという感じ?
目:美しいという感覚ではないですね。面白い(興味深い)っていう。
佐:どうしても美しく決まった動きというのは、規律訓練によるものが、多かれ少なかれあるじゃないですか。子供のときからダンスをやってる人たちは、もちろん、例外もありますが、規律訓練が当然になりすぎている、もう無意識なんですね。きれいに見える動きに疑問がない。それで目黑さんとか外から来ちゃった人たちは、そもそもそういう制度の外の動きをやるのが舞台なんじゃないか、というのがあるんじゃないかと思うんです。いろんな制度の外にある存在や、はみ出した人たちにも注目がいっちゃう。思想的にもそういう事を見てしまうんだろうし、制度の外の動きを探求しているのかもしれないなあ。
目:無益性っていってるんですけど、それは佐々木君が言ったみたいに、益にならない。有益だとされない身体ですよね。社会的にですけど。社会的な有用性から外れた身体というのは、魅力的です。
中:少なくともね、これ(無益な動き)をやる事によって、自分の中でもどこか無意識化してしまっているようなところに問題意識が芽生える可能性がまだあるのかもしれないという面白さはあるように思うんですけどね。
佐:3人に共通して、何でもない所に楽しみを見いだしてしまう所があって、僕は無為と言ってますけど。中西さんも。
中:無用者とかね。
佐:そういう、無益、無為、無用という所にそれぞれ興味が向かっていて。なかなかそれで(舞台を)成立させていくのは難しいねと。まあ成立は置いておいて、探求する場をつくれればいいんじゃないかと、それぞれ思っているのかな。
ーそういう事をやる場として、舞台機構はあった方がいいですか?
佐:これが難しいんですね。あなたたちが言っている事だったら、舞台でやる意味なくないかって、そう言われる(笑)。僕もね、それをよく思うんです。舞台は、その場所その時間限定した、ある特定の人たちになってしまう。舞台という場所は、なんだかんだと、すでに決まってる。作品があって鑑賞する、消費、つまりは、有益、有為、有用という市場の価値観を完全に排除できない。これは分かってるんです。しかし、逸脱したい。では、なぜ、この限定的な機構において、無限に向かって、無際限の事を僕が考えるかというと、まだ僕がここに居ちゃってるからだなあ、というような事が、理由なくある。体力の問題とか、お金の問題とか、いろいろなしがらみがある舞台機構を使って、約束の枠内でとりあえず試す。試す事しかできないんだろうなあと思うんですね。だから、いつでも理想には程遠いですよ。
中:場所って難しいですよね。小劇場のスタッフに入れてもらったりしていたけど、劇場で何かをするっていうことがよくわかんなかったから、ハプニング(という手法)で街の中でやってた人に話を聞きに行ったりとか、そういう人に舞台で上演してもらったりだとかね。僕はもともと美術の勉強してたから、パフォーマンス・アートみたいに舞台機構の必要性がない表現の仕方と舞台芸術とで何が違うのかとかから、舞台機構の必然性についても何か考えられないかなぁって、思ったりして。それでダンスとパフォーマンスとかもっと中間的な表現をしている方だとかが並列されるようなショーケース型の企画もしてみたりしたんですけどね。
目:お客さん呼ぶ必要ないんじゃないのっていう事でしょ?
佐:劇場でやるって事によって、さまざまな問題批判みたいなものは劇場という制度の中でしかできない、という事を抱えてしまっている。近代以降の芸術は基本的に自己批判的、内部告発的な性格を持ちますが、それを芸術のための芸術って枠で処理させたくないんですよね。
目:ハプニングの方が、ストレートに入ってくる時があるでしょ?舞台はやっぱりつくられたもので、安心する場所ですよ。お客さんも自分の場所があって。だけどやっぱり、それってどうなんだろうね。作り物として見ているから、ハプニング的な怖さとかね、そういうものは薄れていく。
中:(舞台は)確かにハプニングではないんだけれども、でもハプニングのように突然遭遇する事件のような事柄じゃなくって、事前にテーマを掲げながら、よりその問題を精査していくような作品作りというか、向き合い方っていうのは、舞台機構を使った時には可能性として担保されているんじゃないかと思いますね。あ、これはちょっと保守的かな?(笑)
「制度外」「無益」「動きと踊りの間」が、特徴となる言葉だと思いました。わかりやすく言葉にしてしまえば、普段の生活・社会に対しての疑い、問題意識を持つ姿勢という事でしょうか。慣れたものの相対に位置する領域にアプローチするという目黑さんとしての方法。実際にどのように舞台表れてくるのでしょうか。
目黑さんは、言語化をあえてしないのか、避けているのか、するべきではないと思っているのか。実は、質問の多くは佐々木さんが最初に話し始める事が多かったです。佐々木さんが”テキスト”という役割をこの作品でも担っていて、普段からの役割分担があるのかもしれません。
後半では、昨今の劇場での舞台表現を行う上で疑問に思っている事が、率直に話に出てきたと思いました。これは、舞台に詳しくない方々もどこかで感じている事なのかもしれません。佐々木さんは「作品は安易につくったっていい。未完成であってもいい。きちんとした作品を展示しなければならない、というのではない。どんどんつくってみて、安易だった、これは違った、と試行する場としての劇場であっても良いのではないか」という話もありました。
踊りに行くぜが、なぜ”セカンド”という作品づくりの体制になったのか。日本におけるダンスの現状を、どのように動かしていけるのか。クリエイションの過程で、主催者は作家にどのように関わっていくのか。”セカンド”は、資金や制作環境、公演の単なるシステム提供だけではありません。巡回公演に至る間に、主催者は作家に対して、どう作品を作っていくべきかを問いかけ、何が実践できるのか、共に考えていく事になります。