アーティストインタビュー
- 2014年12月3日
- 田中美沙子インタビュー[B リージョナルダンス:福岡]vol.1
『底の庭の隣で待つ』 演出・構成・振付:田中美沙子
アガンベンという哲学者が研究した「剥き出しの生」という存在をテーマに、福岡で地元出演者と作品作りに取り組む田中美沙子さん。オーディション翌日にクリエーションに向け、作品についてのテーマや動機などをお聞きしました。
テープ起こし・編集: 二宮聡(「踊りに行くぜ!!」Ⅱ福岡公演実行委員会)
聞き手:宮原 一枝(「踊りに行くぜ!!」Ⅱ福岡公演実行委員会 代表/振付家・ダンサー)
2014年10月アートマネージメントセンター福岡事務所にて
田:田中 美沙子
宮:宮原 一枝
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<オーディションを終えて>
宮:オーディションで福岡のパフォーマーに会われて、どういう印象を持たれましたか?
田:参加者のみなさんが最後まで集中力を持って、どんどん自分から挑戦してくれたのがすごくありがたかったです。よくある事として「それじゃあ一人ずつやってみて」となった時に、「ええ~」って引かれちゃうこともあるのですが、昨日の皆さんは自分を開拓していくことに抵抗がなく貪欲さを感じました。特に即興などは自分がさらされるわけじゃないですか。それを臆せずやっていて、すごくいいことだったと思います。
宮:単純な動きの中で人となりを見るようなオーディションワークだったと思うのですが、どこに重きを置いてやるのかによって一人ずつに違うドラマがあって、それがひとつの「剥き出し」の部分だったのかなって思ったんですけど。
田:何をやってもある意味剥き出しではあると思うのですが、何を剥き出しにするのか?という問いかけもありえると思います。私の祖母は自分の意思で身体のコントロールが出来ない状態だったのですが、それを私達が真似をしてもそれがはたして剥き出しなのかというと、どうしても劣ったものになってしまう。そのものをやるというアプローチだけではなくて違う方法もあると思います。
宮:これからの作品作りは、作品自体のイメージに対して向かっていくものになるのか?それとも出演者の個性を出していくようなものになるのか?どういった方向にしようと思ってらっしゃいますか?
田:作品をどのように作っていくのか模索している段階ですが、まず色々な事を試してみようと思います。オーディションで一度しかお会いしたことがない出演者と行うクリエーションですから、どんな方法がよいのかを探ります。作品の中の一秒一秒に、出演者それぞれがどんな役割を持っているのか模索していきたいです。成し遂げたいイメージに対して、出演者の個性から色々な発見があると思うので。一人一人いろんな引き出しを探りだして、ドキッとするような人間の姿を見ることが出来ればいいなと考えています。
<作品のテーマ「剥き出しの生」について>
宮:今回の作品のテーマ、「剥き出しの生」について、田中さんはご自身のおばあさんとのエピソードを上げられていますが、おばあさんが亡くなってからずっと興味を持っていたテーマなのですか?
田:少し前に、あるダンスワークショップで「剥き出しの生」という言葉を初めて聞かされて「それをやってみてください」って言われたとき思い出したのが祖母だったんです。祖母が亡くなったのは随分前で、時々思い出していましたが、剥き出しの生と繋がったのはそこからです。祖母の寝たきりの姿を見たとき、身内がこんな状態になってしまって悲しいというよりは、あまりの変わりように衝撃を受けました。この人は祖母なのかと。そして自分もいつかこうなるのかと思うと怖かった。ああ、こうして最後は心臓の動きだけになって、それが止まるんだなと。でも呼吸は力強く感じられて、この呼吸が止まる時が本当に来るのかなとも思いました。
宮:田中さんがおばあさんから受け取った印象っていうのは、どんなに話で伝えようとしてもちょっと難しいでしょうね。なんとなくはわかったとしても。それをダンスで、その舞台にいる人たちで、再現する、表現する、作り出すという形になりますか?それともその出演者たちの中にある生を出していくような作品になっていきますか?
田:ダンサー自身の生をあぶりだしてみるというのもやることになると思いますが、それはどうやってみても祖母にはかなわないし、何となく想像がつく。今やってみたいのは「剥き出しの生と対峙した人間」ですね。私の場合は祖母でしたが、いろいろな形があると思います。その人間の使命とはなんだろうかと。
<本作を作るに至った動機>
宮:なぜ今回「剥き出しの生」をテーマに作品を作ろうと思われたのですか?
田:この言葉やアガンベンの思想に興味を持ったからです。人間の底には何があるのか、そして、絶望とのつきあい方ですね。剥き出しの生は、ひとつの絶望の真っ只中にいるように思えて。だからこそ、その生に本当の生きる力みたいなものがあるんじゃないかなと思うんです。
宮:田中さんはこの社会が絶望していると感じることがあるんですか?
田:感じることもあります。絶望という言葉は強すぎるかもしれませんし、あまり使いたくありませんが。人は誰でも絶望しながら、なぜかそれでも生きているわけで。何かと戦ったり、何かを守ったり、抵抗しながら生きているのだと思います。「剥き出しの生」そのものが大きなテーマではあるのですが、それに対峙した人たちも何かしらの形で生を剥き出されると思うんです。「剥き出しの生」が人間の底にある何かだとすれば、境界線なんてないのではと思います。
宮:作品の参加者はもちろん、観客の方々の日常をも揺さぶるような作品になりそうですね。見た目はかわいらしい田中さんですが、話していると武骨で雄々しい一面を感じました。骨太な作品を期待しています。
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