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参加作品・アーティスト選出方法

村本すみれ作品インタビュー

「踊りに行くぜ!!」㈼vol.3 仙台Bプログラムは村本すみれによる「ツグミ」を制作・上演。 村本はこれまで自身のダンス作品制作において、劇場外のサイトスペシフィックな場での公演や、映像作家の大橋翔と共に”ダンス映像”を作中に取り込むなど、劇場内での舞台作品にとどまらず積極的な試みを行ってきている。

今回の仙台クリエイションは、仙台市内外各所でロケハンを重ね、雪のちらつく寒い12月にそのダンス映像を撮影することからスタート。 その後、舞台稽古を仙台の出演者と始めた村本すみれに、「踊りに行くぜ!!」㈼仙台公演主催者の”からだとメディア研究室”代表・千葉里佳が、作品「ツグミ」についてインタビューしました。


日時:2012年12月24日
場所:せんだい演劇工房10-BOX box-1
聞き手:千葉里佳 (からだとメディア研究室代表)

— 今回、Bプログラムに応募しようと思ったのは?

村本: 東京で私たちが今やっているような活動を作品にしてあちこち巡演するというよりは、自分の作品の中で、自分がなかなかできないような年齢の人たちと、層のある感じでやりたいなと思ったからです。
 ヨーロッパに滞在する機会があり、ダンサーとして、役者として、舞台人として、プロとして、年齢がどんどん高くなっていく人たちの活動を身近に感じたし、そういうのがすごく素敵だなと思ったし、年齢を重ねることでしか現れない表現があるのに、日本ではそれができる環境がないのがすごく不思議でした。
 自分の作品でも、ガシガシ動くのは若い人たちに任せて、他の部分で厚みのある表現が欲しいときに、出演者の年齢の幅がもう少しあったらいいなと思うことはしょっちゅうあって。作品の幅を広げたいとか、説得力が欲しいと思ったときに、演じ手が若い人しかいないっていう今の日本の状況は、すごく不自由だなと思います。

 

 

— 今回は、「映像」を用いるのを前提として応募されましたけど、それはなぜですか?

村本:自分が挑戦するということ以外に、レジデンスする地域の人にも何か・・・新しいことを受け取って欲しかったんです。ダンスのクリエイション以外にも新しい体験を一緒にして欲しいと思ったときに、自分が大橋翔さんとダンス映像の作品を作っている経験もあって、撮影の工程とか、自分の存在や動きが映像になっていく、その楽しさみたいなものを味わってもらえるかなと思いました。それを前提にどういう作品を創ろう、と考え始めました。

— 極寒の屋外での撮影は制作側としてすごく心配だったんですけど、あの寒さが逆に出演者の結束力を生み、みなさんとても楽しそうでした。確かに彼らは「経験したことのないこと」を経験したと思います。そういう意味では目的ひとつクリアですね(笑)。

村本:ある出演者が笑いながら・・・笑いが止まらないくらい凍えているんですけど、「こんなことしたことないですよ。雪の中にこんな薄着で、寝転がって、しかも見守られながら撮影されているんですよ」って言いながら楽しんでくれた感じが、私も嬉しくて。

— 壊れていくギリギリのところを見た感じがしました(笑)。でも、みんな満足そうな顔をしていて、やりきったっていう感じがありましたね。あれは見守られながらやっているからかなと思いながら見ていました。

村本:そうですね。厳しい環境ほど自分の身体以外の何かと闘わなければならなかったりして、見ているこっちとしてはそれがすごく美しいなって思うんですよね。身体の内臓みたいな感覚的なものとか小さい躍動というのは、実は映像では出し切れない部分があって、やっぱり生で観る方がダイレクトだと思うんですよ。でも、この身体とこの空間、っていう闘いや何かが映像には集約されるので、それがすごく美しいなって。

— なるほど。ロケハンをするときに「その場所」を決めるポイントは?

村本:・・・直感と言うか、その風景を見て何かドラマが浮かぶか否かということですかね。そこにどういうドラマがあったらおもしろいかとか、どういうふうに人が存在したら楽しいかということが浮かんでくる空間っていうのが第一のポイントですね。そこに人が存在しない方が完成されているとか、人がいるのが普通だ、という空間は選ばないです。それと、ロケハンは大橋さんと一緒に決めていきますので、彼の意見との擦り合わせも、もちろん。

 

 

— 今回の「ツグミ」という作品の核になっているものはなんですか。

村本:「自由」について・・・すごく大きくて取りとめもなく感じるかもしれないですね。自由とか、豊かさとか、群れとか、社会とか、個人とか、何かひとつには焦点が決まりきらないテーマの集約ではあるんですけど。「群れの自由」と「個の自由」の対比とか・・・取りとめがないですよね(笑)。
 二次選考のときに「地域の問題意識から作りたい」と言ったんですが、自分は問題意識という枠だけ用意していて、たとえば今日やったような、人と共有すること・・・雰囲気を共有すること、空気を共有すること、息を吸うことを共有すること・・・に焦点をあてつつ、レンズの先にいるみなさんを枠越しに覗いて「自由とはなんだ」「豊かさとはなんだ」と考えている、みたいな段階だったんですね。
 たとえば「ひとりってどういうことなの?」「それは悲しいことなの?前向きなことなの?」というところをいっぱい話したいという欲求から始まっているので、「この作品ではこれが終着点です」とか「こういうことを表現します」っていうのを自分の中で敢えてぼんやりさせているところがあります。

— 今、村本さんは何を見たくてレンズを覗いているんでしょう?

村本:何か「上手くいかないこと」を探したいんですよね。今日やってみて思ったのは、良い意味でも悪い意味でも、みなさん感情的にならないとか団結力がある。何かそれを崩してみたい思いがあります。果たしてそこに本当に疑問はないのかとか、果たしてそこにほんとの共有感はあるのかな、とか。

— 村本さんにとっての「ひとり」とはどういうことなんですか?

村本:直接その質問に答えられているかわからないんですけど、私は人間を「人類」として捉えがちで個人としてあまり見れない。人を語るときに「彼は」というよりはこの地球にいる人という俯瞰した視点で見てしまうんです。もちろん、生活しているのだから私自身たくさんの個人と接しているわけで、個人の営みには興味がすごくある。
 けど、一人ひとりというよりは、「群れ」ですよね、群れの美しさみたいなものにすごく心動かされることがあって、なるべく群れとして美しいものを見たい/見せたいという部分が自分の作品の核にはあると思います。リラックスしていると、どんどん暗いものに足をとられてしまうので、人に愛を感じていたい(笑)。

 

 

— では、最後の質問です。村本さんはなぜ踊るんでしょうか?

村本:踊りでなくても自分に合ったツールがあるならばそれでも構わないと思っているくらいですが、ただ、人間を好きだとか、人間を美しいと思いたいっていう点においては、身体というものの存在が、そこにあることに感銘を受けたいという思いもあって・・・踊りと言うか、身体の意識とか風景とかを感じたいんでしょうね・・・んー、わからないですね。踊りじゃなくてもいい、と言いつつもやっぱり踊りが好きですよね。

— 今日の稽古を見ていて、「抗う身体」、「抵抗する身体」というものがキーワードになりそうな予感がしたんですけど、それは何かあるんですか?

村本:私、常に抗っているので(一同:笑)自分も抗いたいし、抗っているその人を見て美しいと思うことが結構あったりする。群れのときは、共有とか流れというか、抵抗しないでいかに空気を受け取って流していくかが大事だと思うんです。渡り鳥や群れで生きる動植物は、ですね。でも個人では大きな流れの歯車になりながら、何かに抗って行くことがありますよね。みんな、何に抗うのか、分かっていないこともありますけど。

— あの身体はすごく強くて綺麗だったと私も感じました。1月下旬からのクリエイションも楽しみです。今日はありがとうございました。

 

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