「内田さんを雇いたい」、そう言われた。

菅原は長年来の友人である。元々は私の部下であった。
世界のVIPやハリウッドスター、富裕層を相手にしたホテルで、菅原はすっぴんで働いていた。
何度も、頼むから綺麗に化粧をしてくれ、と懇願したが、言うことをきかなかった。
スタイルはいいのに、髪も眉もボサボサだった。
動きだけはバレエダンサーのように美しかった。

菅原は、数年前に私が結成した、『一人っ子の会』の一員である。
会員は4名。増えた試しがない。
閉鎖的なのである。
たまにゲストの参加が認められるが、ゲストは一人っ子でなくても構わない。
菅原はAB、私はA型、他の2人はBとOである。
つまり、てんでばらばらであり、故に、バランスがとれている。

一人っ子は、寂しがり屋である。
そのくせ、一人、膝小僧を抱える時間がないと窒息死してしまう。
もちろん、我が・ままである。
でも、自分では全くそうは思っていない。

菅原とMessyについて最初に話をしたのは
あれは確か、カンボジアの宿だったか。
異例の大洪水で、なす術もなく、
途方に暮れていた私を菅原が訪ねてきた。
菅原が滞在した5日間は不思議と雨が止み、美しい夕日にさえありつけた。
ああこの娘はアポロンをしょってるな、と感じたものである。

100年前の遺跡の上で踊ったり、
トゥクトゥクに揺られながら、黙々と働く痩せた灰色の牛を眺めたり、
50セントのビアを飲みながら、三線を弾き、
2人でとりとめのない話をした。

自分の中の衝動について話していたとき、
菅原は、裸になりたい、といい
私は、飛び降りたい、と応えた。

日本という国には、しばらく戻るつもりはなかったので、
彼女の初作品の手伝いができないことを残念に思い、
体だけは大事にしなさいね、と抱擁をして別れた 。

私が帰国したのはその二日後である。

かくして私は、友人に雇われることとなったのである。

つづく