上本です。1月になって、東京も本格的に寒くなっております・・!
夜の稽古場が小学校の体育館だったりすると、広いのはいいのだけど暖房がないのでとにかく寒い。とりあえず何かしら動いてないと不味い。演出なのでついつい動くのを忘れて通しを見てしまい、気づかぬうちに芯から冷えてしまい。ホント冷えるだけで風邪ひくんだなと、冬の体育館は侮れないね。そういえば2011年の最初に観た舞台は、三条会の『冬物語』でした。冬だなあ。

というわけでいまや新年の2011年なので、既に年をまたいでますが、これまでやってきたことの降り返りを続けていきます。

(2010年の)10月末に鳥の劇場でのレジデンスから東京に戻ってきて、まもなく。AAPAのつくば公演のため、つくば市北条にある「矢中の杜」に滞在することに。
とはいえ、「踊りに行くぜ!!」のことが頭から離れるわけもなく。webサイトに掲載するインタビュー記事の編集もこの時期に重なっていたので、鳥取でのことを何度も思い返した。
その中で繰り返し、頭に巡ってきたいくつかのこと。

制作経過のショーイングの後、鳥の劇場の主宰であり演出家の中島さんからもらった言葉。
「ただ時間と空間をデザインした、というだけの舞台になってはいけない」(といった意味のこと)

インタビュー含め、JCDNの水野さんが繰り返し伝えてくれていたこと。
「身体(からだ)があって、表現するから人に届く、というところを上本さん自身がみつけることが、ポイント」

この2つの言葉が、何度も頭に浮かんできて、考える。
時間と空間だけではないこと。
身体の必然性。
自分がこれまで興味があってやってきたことが、この言葉に答えるとしたら、どうなるだろうか。
すぐ正面から答えることができるものでは、無い感じがある。

鳥取でのショーイングの際のシーン構成(場面タイトル)は、以下のものだった。

(1) プロローグ
(2) ささいなこと
(3) 終わらない会話
(4) 理由のないこと(寝そうになる、倒れる、立つ、動物、人間)

ショーイング自体はバラバラでゆらゆらしてたが、今回の作品要素は、その殆どがこの中にあると思う。
次の課題は、それがどういう構成を取れば、自分が感じているものを表す形になるか。
そしてそれが終わり次第、シーン毎の内容を(鳥取で書いた台本をベースに置いて)1から作り直す。
特に味気のしない骨だけのところに、肉を育てていく。

今度は、もう一度、1から作り直すようなことは時間的にできない。
ここで作ったプロットを最終にして、再び鳥の劇場に滞在する1月末まで、作り込んでいく。

つくは公演はぶじ終わり、11月は半ばになっていた。つづく