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前納依里子作品クリエイションブログ

05.10

NGシーン映像

鳥取でカットになったシーンの映像です。
初めて動画というものをネットにアップします。すごい緊張…。

http://www.youtube.com/watch?v=1K-vYYP1SyU


05.10

もうすぐ終わり&権造誕生秘話(?)

今日は地域センターの広い素敵な場所で2時間だけの短期集中リハやりました。
今日は演出補佐の望ちゃんも来てくれて、終わった後いい年齢の人たちが、
ミニストップの超狭い飲食エリアでなんやかんやと盛り上がりました。

いつものごとく自分が踊る部分は超置き去りで今更めちゃくちゃ不安になってきてますが、
もうこの作品をこのメンバーで踊れるのもあと数えるだけなんだと、
もうすぐ去年の猛暑に突如始まった、それまでの私にとってはほとんど夢みたいだった出来事が、
終わりになってしまうんだなあと、しみじみ感じた今日でした。
シンデレラの12時の鐘はもうすぐ鳴るのです。
(あ、自分がシンデレラとは言いませんが)

ところで今更ですが、たまに作品の写真でぼんやり移ってる、
作品中ずっと私たちと共にいる第5の共演者(!?)の名前は権造(ごんぞう)というのですが、
懐かしい写真がでてきたのでアップします。

はっちレジデンスではまだ真っ裸だった権造は、あらゆる人にその存在意義を突っ込まれ、
果てにメンバーから「………いらないんじゃない???」とか若干遠慮気味に言われる始末でした。
でも応募段階から企画書に書いてあったくらい私にとっては絶対の存在だったので、
すごく寂しく孤独な想いをした記憶があります。

私チームは美術さんとか音楽さんとかがメンバーに含まれておらず、
美術さんの重要性、必要性を身にしみて感じた出来事でもありました。

とにかく水野さんの貴重なアドバイスをいただいたうえで、年末年始返上で、
けえさんと私の自宅で夜な夜な作業に没頭しました。

この写真は、私の部屋に眠ってた、買って3日くらいで壊れた安いラジカセの破壊・解体に成功した記念の写真です。
これが意外と大変で、深夜12時から早朝4時くらいまでかかりました><
粉まみれになりつつ、異臭を漂わせながらラジカセにのこぎり突き立てる私の姿を見てたけえさんの目が忘れられません。
正直他の誰にも見られたくない光景でしたが、そんなことは言ってられません。
めでたく二分割したラジカセの中には、宝の山がごっそりといった感じですごい達成感を感じました。
その宝たちは、今も権造の足元を健気に飾ってくれています。

明日は1時間半の超短時間集中リハです!
が!最後の稽古場リハなので心してがんばります。


05.04

負傷者続出

今日は森下スタジオでリハーサルでした。
本当に森下は落ち着いて集中できる環境で帰りたくなくなります・・・。

今日は本番までの残された期間で目指したいことの再確認のために、
最初にみんなでぶっちゃけトーキングタイムをもうけました。
こういう腹を割って話す時間がものすごい大切だということを、年末のレジデンス以降学びました。
私自身のまだまだ足りてない部分も確認できたし、
みんなも気持ちを新たにするには良かったんじゃないかと思います。

今日は初の試みで、私が誰かの代わりに入ってその人は外から見てるという稽古をしてみました。
今日は主に未来ちゃんのところをやったんですが、ものすっごく体力キツイことに気づきました。
未来ちゃん大変なことさせてごめんなさい・・・。でもがんばってください!(笑)
でも未来ちゃんも外から見て発見も多かったみたいだし、
何より私が勝手に楽しんでしまいました。

でも入って実際にやってみて、案外いろんなことが外から見てるだけじゃわからないものだと感じました。
作者や観客の立場で見るなら外から客観的に見ることが重要だけど、
踊り手の気持ちに寄り添うならこのやり方が一番早いなと。

そしてやっぱりいわゆる舞台上の「リアル」っていうのは、自分がなぜそこにいて
なぜそう動くのかを、舞台にいる間中自分に問い続けること、
その問いに、「こうだ」と明確に答えられる身体、自分であることでしかないなと思いました。
いわゆる「慣れ」というのは、形が身体に入ってそういう問いを投げるのをやめてしまった状態なのかもしれません。

今日もとも君の役をやったときに一番思いました。
なんでけえさんに近づくのか、その動機によって近づく速度は自ずと決まるし、
どうしてけえさんをけりとばすのか、その決定に至る間は、
単純に自分がけえさんをけりたくなるのを純粋に待てばいいんだと。
私はそういうのを探るのがやっぱりすごい好きです。

答えを出すアプローチの仕方はそれぞれでいいと思うけれど、
みんなにも本番までどんどん問いを投げていってほしいと思います。

そんなこんな最後の通しではみんなテンションあがりすぎたのか、
私は頭床に打ち付けて舌かむし、未来ちゃんは2センチくらいのとげ刺すし、
極めつけにけえさんととも君が事故ってとも君の口の中血だらけになってました・・・。
(けえさんも内出血)

まあでも大事に至らず良かったです!
本番もこのくらいのテンションでできたらいいなあ。
明日は早くも最後の森下なので、大切に時間を過ごしたいと思います!


04.27

コンテンポラリーダンスとモダンと

ここ2回のリハ中、初めてのユニゾンをつくりました!
ユニゾンに超苦手意識あるので自分的にちょっと新境地開拓した気分です。

ところで今私は修士論文を本気で片付けるために案外勉強していますが、
コンテンポラリーダンスとモダンダンスの違いって何なのかといえば、
モダンは舞踊によって何かを表象・表現するもので、いわゆる代理表象であって、
コンテンポラリーはそういう意味性とかテーマ性とかよりも、
身体や動きそのものを自由な発想で表現したもの、みたいなことがよく言われたりしています。

確かにそれも一つの定義だなとずっと思っていたのですが、
最近コンテンポラリーダンス自体に結構疑問がわいてきてる中で考えてみると、
上記の定義って、作品の価値がどこにあるかっていう違いなんじゃないかって思ってきます。

要するに、踊りや身体そのものの目指すところ、「よい」とされる踊りや身体があるとするなら、
その目指すべき「よい」踊り・身体の像って案外同じなんじゃないのかと最近すごく思います。
コンテンポラリーとかモダンとかって、振付とか演出とか作品の感じとかテーマとするものとか、
そういう表面的な差異でもって分けてるような?
もちろん歴史的な経緯はありますが、
結局「いい踊り」って、いつの時代も同じなんじゃないのかと思います。

たとえばモダン的代理表象の作品で、私は草の役をやるとしても、
私のやる身体的作業は別にいつもと変わらないと思います。
コンテンポラリーダンスでは「今ここ」のリアルが重要視されるけど、
私は多分草をやってても、踊る以上は「今ここ」のリアルから離れることはできないと思います。

だから結局何が言いたいんだっていう感じになってきましたが、
コンテンポラリーダンスが閉塞感漂ってどうしようもなくなって、
最悪ジャンル自体が消滅したとしても、私自身が目指したい踊りとか身体は消えないし、
変わらないだろうなということです。

身体的な真実で踊ること・動くことさえできれば、私自身にはもちろん、
猫にだって犬にだって、レンガにだって何にだってなれると最近思います。

何にでもなれるということは、同時に何でもないってことで、
それは身体の透明な存在そのものであって、
そんな風に「私」が消えてしまうくらいの踊りが踊れるようになったら最高だなって思う今日この頃です。
まだまだ青いです。


04.21

メモ①

こないだとも君と二人でリハ再開しました。
あんまり具体的にやったこととか今まで書いてなかった気がするので、
最後にむけて、自分のためにも書いておこうと思います。

最後の方で、とも君が一人で踊る時間を新たに入れるので、そこの振付をやりました。
ベースのイメージは、四肢がナイフだと想定して、
見えない敵に囲まれた空間をとにかく切り裂くという設定です。
色々実験的にやりつつ、思ったこと。

・コントロールしない(解除した?)身体=リアリティのある身体、
ということは当然言えるけど、技術やコントロールを使ってもその図式は絶対に成り立つと思う。
同時に日常動作的な振付や行為ばかりがリアリティを持つわけではないと思う。

リアリティって一言で言っても、その定義はすごく幅があるから、
人によって捉え方が違うのですごく難しいです。
ただいわゆるテクニックを使い始めると、なんか取り繕った感が出てくるのも否めなくて、
そこを両立するのは結構大変な道なのかもしれないとよく思います。

・動きを複雑化するために
→見えない敵の形、向かってくる方向や切り込んでくる角度やスピード、敵の質感などを
動きながら自在に想像して、瞬時に反応できるようにする。
→背中の裏とか太腿の後ろとか、反応が鈍い部分に意識をより置くようにする。
→動きを切らないで、一つの動きを他の部位に伝導・波及させてつなげていく。

・動きの質感アップのために
→柔らかいプリエと足の裏の繊細な床のキャッチ。
→部位そのものに力をこめないで力を外に放出する。
→広い空間を意識。

こういうことを実現していくのに、日々の身体の鍛錬っていうのが必要なんだな〜と思いました。
かの土方さんも、バーレッスンをとても大事にされてたそうです。

私は今まで人の動きを磨く立場にたったことがほぼ皆無でした。
でもこの期間で、自分が今までどういう視点で踊ってきたか、
ほとんどがむしゃらに無意識にやってきたことを、
ようやく最近になって少しずつ意識的になりはじめて、
人にも伝えられるようになれてきた気がします。

とは言ってもまだまだなので、どんどんアウトプットしてみんなと共有できたら、
一人で踊ってるよりもっと楽しく人とやっていけるのになと思いました。

日々是研究です。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


04.18

歪んだ身体

作品と直接関係するわけではないけれど、
身体はその個人の歴史や記憶を刻み残すものと言われますが、
じゃあ自分はどうだと考えてみると、とりあえず私の身体はめちゃくちゃ歪んでいます。

まあこの年齢になればまっすぐな人なんていないと思いますけど・・・。
私の場合いわゆる軽度の側彎症というやつで、(背骨が湾曲する症状)
昔レントゲン撮ったら、湾曲というより陥没!?!?ってくらい、
もう漫画かってくらい一点集中で殴られたみたいになってます。背骨が。

軽度らしいんだけど、身体使うことをやってるからか、
睡眠中以外、違和感や不快感を感じないことはほぼありません。
寝ても覚めても、座っても立っても一つも落ち着くボジションが私にはありません。(涙)
だから多分落ち着きがないんだろうと思います。
(ついでに言うと右足首にもあるはずの小骨がないのでしょっちゅう捻挫します)

いつもいつも身体のパーツを付け替えたいって思いながら生活してて、
そして私は心身一元論支持者だから心まで歪むんじゃと少し不安ですが、
きっと私が踊る自分の身体と向き合うにはとてもいい症状なんだと最近は思います。

やっぱりそれだけこの部分にこういう力が働いてるとか、
重心がちょっと変わると身体の中はどう響き直すかとか、
こう足の裏をついて歩いたらちょっとは楽だとか、
そういう感覚が歪んでるからこそより顕著になるから、
それを感じて発見するのは結構楽しいし、
案外そんなことが踊りになったりするのかもしれないとも思ったりします。
即興なんかでは確実に取り入れる要素です。

・・・そんなこんなで、明日からいよいよ振替公演にむけてのリハーサルが始まります!
震災後、私自身の現実とか世界とか人間に対するペシミスティックな物の見方がかなり変わりました。
数年間結構しんどかったのですが、やっとそこを抜けて
前向きなエネルギーが心身ともに湧いてきたような気がします。
春という季節もあるんでしょうけど・・・。

少しでも3月よりも納得できるものに近づくように、メンバー一同最後まで頑張ります。


03.28

浅草の非日常

あのものすごい地震から、二週間ちょっとたちました。
被災地の皆様には、本当に心よりお見舞いと、一刻も早い復興を願うばかりです。

ウェブはしばし凍結なのかと思っておりました…。
………が!
そもそも踊りに行くぜ!!Ⅱはまだ終わってない!!ということで、
やっとあの日のことを、若干距離を置いて眺められるようになってきた今日この頃です。

水野さんの日記読みながら、すごいいろんなことが鮮明に思い出されたのですが、
地震のとき「止まれ~!」と叫んでいたのは私です…。(うろうろ日記参)

というのも、実際地震はかなり怖かったんですけれども、
あまりに長く揺れが続いたものだから、途中から、「天下のアサヒのビルが壊れるはずない」と、
変に冷静になってきてしまって、それより何よりこのままじゃ公演ができなくなる!!!
って考えが頭を支配して、お願いだから止まってくれと必死に願うばかりだったのです。
その願いもまったく天には届かずでしたが…。

アサヒは耐震性のつくりのようで、実際の震度より感度的には大きかったようです。
すごい巨人が指であのビルをつまんで笑いながらゆすっているようなイメージがぴったりです。

夜な夜な歩きまわって探しあてたホテルは、あんな状況でなかったら絶対に出会わなかったなという感じでしたが、
すごい昭和レトロ感にあふれていて、一生忘れられない宿になりそうです。
(むしろまた行きたいくらい…)

土曜日になり、中止の報告を聞きましたが、
テレビで状況を把握していたので仕方がないなと思いました。
でもやっぱりここまできてこんな終わり方と思うと、
関わってくださったたくさんの人たちが思い出されて涙が止まりませんでした。
締めの挨拶を求められても、起こった出来事の威力の大きさと、
それによって起こったどうしようもない現実、
自分含め、みんなのたくさんのいろんな思いがブワーッと自分の中を渦巻いて、
やっと二言くらいを発するのが精いっぱいでした。

でもひとつだけよかったなというか、こんな終わり方だったけど救われたのは、
アサヒのビルを出るときに見送ってくださった関係者の皆さんでした。
私はハグが大好きですが、ここはアメリカではないから、
恋人でもないのにハグをするのはアヤシイ行為と取られますが、
自然とハグができるような関係を持てた、築けたっていうのは私にとってはすごく大きな財産だし、
みなさんの優しい言葉に、すごい勢いで心が潤っていくのを感じました。

でもきっと、この震災によってそういうことを再確認できた人はすごく多いんじゃないかと思います。
家族や恋人をはじめ、電気・ガス・水道のようなインフラもそうだし、むしろ自分が生きているという事実すら、
私たちが当たり前だと感じていたいろんなことが、本当は一番大事で、
生きていくことに最も不可欠だったっていうこと。

400年だか1000年だか(全然違う)に一度の巨大地震と言われますが、
実際的な被害の少ない首都圏に住む私たちには感じられにくいかもしれないけれど、
きっと知らないところで、時代時計(あの地球温暖化のカウントダウン時計みたいな)は
150度くらい進んだんじゃないかと思っています。

というか進むべきというか、よく言われる「閉塞感」というヤツに別れを告げるときだと思います。
格差とか勝ち組・負け組とか、そういう価値に代替する価値が生まれて、
(ついでに原発に代替するエネルギーも充実して)
日本がシステムとか経済的な側面だけでなく、新しい意味で「豊かな」日本になることを願いたいし、
私はまだまだ未熟者ですが、今後まだ平均寿命で考えれば60年くらい生きるんだから(!)、
そんな日本を作る1ナノメートルくらいの細胞でいいからなりたいって思います。

ボランティアにもいけず、大きな義援金も出せない無力な私ですが、
自分のやれることを精いっぱいやっていこうと、思いを新たにする今日この頃です。


03.07

明日からアサヒです

いよいよ明日から現場に入れます。
もうこのブログもそろそろ閉幕なので、ゆるりと書こうと思います。かなり雑念的です。

今日のリハーサルでは、またメンバーと激論(!?)しました。
結構な時間はとってしまうけど、こういう議論ができるメンバーで、
そしてそういうことがガンガンできるような関係性を築けたことは、
本当にこの半年間の大きな変化だと感じます。

私は本当にず~っと周りの目を気にして生きてきたのかなと自己反省に陥るくらい、
人に気を遣ってしまう性格みたいで、その性格を根本から変えなければ作品なんて創れないと、
いよいよ窮地に立たされたのが12月のレジデンスでしたが、
私も少しは性格改善というか、少しは他人に対して自分を出すのが怖くなくなってきたような気がします。

本当に踊りは私にとって、ほとんど自分の自分による自分のための
心身健康保持&開発手段だなと思ってしまう今日この頃です。
最近体力が落ちていて、今日もすごく仕事中頭が朦朧としてきてたけど、
これからリハだと思うとやっぱり頑張れるし、
逆に踊ってなかったらどこかしら病気になる自信がかなりあります。
なんかおばあちゃんみたいなこと言ってますが結構本気です。

そんな感じで地味~にこの13年ほど心身開発をしてきましたが、(まあそれは今後もそうでしょうが)
結局踊りや作品のクオリティをあげる部分って、
人の目がいかないような地味で超ミニマムな部分だったりすると思うので、
そういう意味では今までやってきたこと、生きてきた過程全部受け入れて、
すとんとした気持ちで舞台にのれたらいいなと思います。


03.03

いよいよ3月

まだまだ寒さは油断ならないですが、だいぶ春が近づいてきた感触の今日この頃です。
バイト先でも転職とか異動とか、別れの季節だなあと感じます。

そんなこんなで、私たちカナリアチームにも別れのときが近づいてるなあと、
八戸から東京まで三週間あいた私なんかは悠長にも考えてしまうのですが…。

八戸から帰ってきてから1週間弱、けえさんと未来ちゃんが大風邪をひいてしまってしばしリハは休業でした。
作品のことをさわれないのは若干不安ではありましたが、
この期間に私も行きたかった展示に行ったり、本屋さんを物色したりしてリフレッシュするとともに、
作品を終える前に、もう一度自分の表現したいことや、身体で表現するということに関する
自分なりの考えを見直し、整理できてとてもいい時間になりました。

ピナ・バウシュの言葉で、「何が人を動かすか」みたいな、もはや金言的になっているものがあったと思いますが、
その意味するところやなぜそれが身体表現において大事であるかが、
年明けから今に至り、私なりの理解は進んだと思います。

芸術表現に関して私はそんなに勉強してないけれど、
その人自身の深奥にある真実を探求して表現するものなんじゃないかと思いますが、
きっと「動き」とか「振付」って、外から見える形にしかすぎなくて、
その形が現れ出る動機とかきっかけの真実味が、
身体表現でもっとも大事なところなんだろうと思います。

ダンスが芸術としての価値をあまり認められていないのは世界共通だと思いますが、(一部の国は除いて)
日本は特にその傾向が強いんじゃないかと思います。
私はやっぱりそれは納得いかなくて、私は「自分は芸術をやってる!!」なんて認識はないけれど、
舞台芸術としてのダンス作品ってどういうものなのか、
自分なりの答えをそろそろ明確にしていかなくてはいけないなと、
森ビルのてっぺんでおもちゃ箱みたいな都会を見降ろしながら考えていました。

そんなわけで、明日は最後のトヨタリハです!!
あの地下にもうもぐれないなんてとってもさみしいです!


02.23

地方巡回終了です。

夜ブログ書こうと思ってPCに向かってたらそのまま寝てしまって今早朝6時です…。
これ以上ひきのばすと書けなくなりそうなので書いておこうと思います。

私たちにとって最後の地方公演となった八戸が終わりました。
あと残すところ東京のみです。

レジデンスしたときは本当に新築で、夜は一人で泊まった日もあったりしたので、
オープンして予想以上の人でにぎわっているはっちはとても新鮮でした。

今回もたくさん感じることや考えることに出会うことができました。
ですので何を書いていいのやら、という感じですが、
まず最初に作品のことを述べさせていただくと、
今回の2日目で、私は初めて何かこの作品が一つの心を持った生き物みたいに感じられた気がします。
それはメンバーみんなの思いや頑張り、松山・鳥取を経て強くなった部分だったり、
音も照明も道具たちも、本当にすべての要素が私の中をスっと流れていった、
今までに感じたことのない感覚でした。

実際問題、今回はスタッフさんが不足だったり、公演実施上様々な問題が発生し、
朝から深夜にかけて休みなく働いている方々の様子を間近で見ていたこともあり、
私にできること、そういう献身的な方々、見に来てくれるお客さんに返せることは、
とにかくいい踊りをすること、そういう思いを全部踊りにのせることだけだと夜な夜な思っていました。
だからかわからないけど、最後の回は本当に楽しくなってしまって、
終始ニヤニヤしながら踊っていた気がします。
(設定上、ニヤニヤしてたら相当怪しいキャラなんですが…。(爆))

メンバー一同、東京に向けて持っていきたい形が見えたという意味でも収穫大でした。

話は変わりまして、はっちコミュニティダンサーズも、鳥取に引き続きとても面白かったです。
シニアチームはそれぞれの生きてきた道みたいなのが身体を通して、
舞台上に存在する身体だけでものすごく伝わってくる感じがして、
ああやっぱり40歳過ぎたら自分の顔は自分の責任とかいうけれど、身体も同じだなと思いました。
皆さんとても美しかったです!

そしてヤングチームの中高生たちの踊りがとても印象に残っています。
みんなの真剣な表情とか一生懸命な姿勢とか、純粋できれいな空気に癒されたし、
踊りの原点に立ち返れた気がしてとても励みになりました!

ちょうどあのくらいの頃に私は踊りをはじめて、
自分というわけのわからないつまらない存在とその将来にものすっごく悩まされていたから、
(案外それは今でもそこまで変わってないのかもしれませんが、)
打ち上げでみんなの言葉を聞いていて涙が止まらなかったです。
あのとき身体は固いわプリエのプの字も知らずコンプレックスの塊だった私が、
今こうしていられるということは、人間やればできるってことなんでしょうし、
だからこそ、みんながんばれええええ!!って思ってしまいました。

例によって全然観光らしいことはできませんでしたが、
はっちの門出(?)に、素晴らしい方々と同じ時間を共有できただけで、今回は十分かなと思っています。
今後のはっちの未来が素晴らしいものになりますように…。
また今度ゆっくり遊びに行きます!!


02.14

夢の恵比寿レジデンス

ではありません。(爆)
が、今日は運よく13時~21時半で恵比寿の大人気の無料の稽古場が借りれていたので、
なんとなくレジデンス気分いっぱいでした。

やはりまとまった時間で集中してやれるのはとても効率がいいと感じた一日でした。
やっていることは本来効率とかいう単語とは無縁なので変な話ですが、
やはりいつもの賞味2~3時間の稽古と比べれば収穫が大きいのは確かです。

今日はずっと手をつけたかったけれどつけられずにいた、株のシーンの手直しを主にやりました。
この段階にきて振りを変えることに、まったく抵抗がないといえばウソになりますが、
やはり思い切ってみんなに白紙から振りを考えてもらったのは正解だったなと思います。

鳥取以降、メンバーのみんなの動きを1から検証しようと決めて、そこに重点を置いてやっていますが、
私は今までみんなの良さをどう引き出せばいいのか、どうしたらみんなが素敵に見えるのか、
どんなアドバイスや声をかければいいのかがわからず、
(と書くととても上から目線みたいですが)全然手も口も出せていませんでしたが、
今やっとその課題の克服に、正面から向き合えていると感じます。

それは具体的には、こう言ってこういう方向性でトライしたら
違う何かがその人の中に生まれるんじゃないかとか、
いつもやるような方法と違う方法でやってみてもらうとか、
私も探り探りですが、少しずつ、でも確実に変わるみんなを見て、一つの手ごたえのようなものを感じています。

でもこういう作業って、ダンス作品を詰める上では一番重要な作業だったじゃないかって、
今更ガツンと思い出させられた気分です。
こういうことがきっと、鳥の劇場の中島さんがおっしゃっていた、
「形を超えた」表現につながっていくのだろうし、
東京公演までに私もメンバーみんなも、挑戦していきたい、いくべき課題なのだろうと思います。

でも私はやっぱりダンサーだからでしょうか、今の作業が今までで一番楽しいです。
もちろん構成や音や形を整えてくことも楽しいのですが、
まあいろんな意見聞いて迷ったりやり直したり、しんどい思いの方が大きかったので…。
やっとこの段階にこれたことは(本当にやっと、、、、)喜ぶべきことだと思います。
(ちなみに今日一番分析してて楽しかったのは、とも君の宇宙遊泳歩行で、
全身の引き上げと足の裏をめちゃくちゃ繊細にコントロールしながらも、
上半身は空気をふくんだようなゆったりとたゆたうような感じだと判明しました。
実際やるのは相当ハードですが。)

それにこうした過程で、自分が踊りとか身体表現で何を大事にしたいかっていうところが、
だんだんはっきりしてきました。
今まで、自分が踊る上で大事にしていること、
譲れないことなどを言語化して他者に伝えることが私にはあまりなく、
視覚的に見える踊りだけで強引にも語ってきた(というか言い放つというか)部分があった気がします。
というか舞台に立つ以上、いくら言語化できても表出して視覚化できないと
何の意味もないということが一番大きかったとは思いますが。
ただ今みたいに人と作品を紡いでいくとなると、
やはりそれを言語化しなければならなかったんだなと…。

いろいろ大事にしたいものはたくさんあるのですが、その中の一つを挙げるとしたら、
私はやっぱりその人のその人自身への挑戦の姿勢が見えるかどうかは重要なとこだと思います。

鳥取のとりっとダンスの方々に感動したのは、
自分には何もできない(ダンス的にいう意味で)、というところから、
なんとかもがいて苦戦し挑戦した結果の姿だったからではないのかなと感じました。
その必死さとか強い思いとかがピュアであればあるほど、
見ている人は惹きつけられるんじゃないかなと。
多少踊りを知ってしまうと、そういうものが濁ってしまう場合がままあるし、
他者からの振付という外形から入ってそこに至るには、大変な苦労と道のりが必要だと思うので、
やはりダンサーという仕事は楽ではないな…と、改めて感じさせられます。

とりとめなくなってきましたが、まとめると、私もみんなも、
今までになかったけど眠ってた身体のエネルギーとか
力を発掘すべく挑戦していけたらいいなということです!!

無理やりまとめました!!!


02.07

みきさんありがとうございます。

「とりっとダンス」メンバー みきさんより。
「カナリア S」を見ての感想。

踊りの先に見えてくるものは何か。
ダンサーの動きを見て、その動きが象徴するイメージを予想する。
次の瞬間、観客である自分が思った動きとダンサーの動きが一致した時、予定調和のようになった時、それは喜びである。
しかし、それは自分の想いがダンサーと一致しただけのことであり、観客としての満足度は半分であろう。
予定調和されない次のイメージがほしいのである。
観客に考えさせること、立ち止まらせることの時間をつくらせること。

狂気・病理・暴力性などと言葉にしてしまえば、人間の都市生活での苦悩や生き様を表しているように思える。
そう、一見、現代の「東京」と言う都市を思わせるが、それはどこにでもある、頭の中で空想できる都市空間でもある。
舞台には仮想的な現実が広がっている。そこで、もがきながら、欲望を満たしながら生きている生活がある。

地下鉄の音が聞こえる。現実の世界が開ける。私の存在を私が捕まえる。
仮想現実、無機質な世界から目覚めていく。
鳥かごの「カナリア」は私ではなく、「わたしは私」と静かな叫びが地下鉄にこだまする。

****************************
みきさんは本当に味わい深い言葉、文章を書かれる方だなあと思います。
作品中で「言葉!!」と叫んでいらしたのがとても印象的でした。
本当にありがとうございました!


02.07

ありがとうございます鳥取(涙)

昨日鳥の劇場での本番を終え、今日東京に帰ってきました。
2月1日から、劇場近辺のレトロ民家での生活でしたが、
美しい雪景色と自然に囲まれた劇場で、本当に素晴らしい体験と勉強をさせていただきました!

鳥の劇場の劇団員さん、スタッフの方々みなさんとても熱く親切な温かい方ばかりで、
舞台を全員で創る、というチーム一丸となっている姿勢もとても刺激になりました。

主宰の中島さんにも、ゲネ後に約1時間以上(??)、作品のアドバイスやいろんなお話をしていただきました。
演出する立場として考えるべきことや視点、照明の効果など細かいお話から、
今回の作品制作をこえた私自身の方向性についても、大きなヒントや力をいただける貴重な時間でした。


↑鳥の劇場のスタジオから見える風景が素晴らしいのです!夕日がまぶしかったぁ。

<
↑かわいい鳥のカフェ。本番の日はまんまと飲み損ねました。(涙)

Bプロのとりっとダンスの方々のダンスも、今の私にはとても大きな刺激となりました。
ちょうど私含め3人のメンバーが、この段階にきて考えるべきこと、足りないことをまざまざと意識させてくれるような、
そして率直で素直な感情や力の発露こそ、身体を通してダイレクトに見ている方に伝わるものなんだと再認識させてくれました。
私たちも、外形が固まってきた今、これこそ大変だけれどそこに向かっていかなければ前には進めないと感じさせられました。
とりっとのメンバーの、みきさんから、素敵な感想をいただいたので、続けてアップします!

今回は未来ちゃんにカメラ係になってもらいつつ写真をたくさん撮ったので、アップします!
結局砂丘も温泉も街の散策も何もできずに終わってしまったのが悲しいですが、
レトロ民家滞在と毎日の景色だけでもかなり満足しています!


↑レトロ民家でのヒトコマ。毎晩こんな絵ズラでした・・・。みんなお疲れ~!!


↑鳥カフェで販売してたらしいピンク小鳥!!けえさんいいなぁぁぁぁぁぁ。


↑帰りの飛行機より夢の世界的な。私の最後の踊りのイメージは雲の上なので目の当たりにできてよかった!


↑テーマ見返り美人図


01.26

最近のこと

今久しぶりに大学にきてPCしてます。
レポートに追われない生活も3月までです。(涙)

松山終わって数日して、視野狭窄に陥っていた心も身体もいくらかリフレッシュでき、
またいろんな非現実的なことを考え始めてますが...。
とにかく現実的には、鳥取に向けて結構大幅に音や構成を考え直しているところです。

私は本当に本当〜〜に、、、今まで自分が踊ることばかりに重点をおきまくっていたので、
今この状況、作家として舞台を演出する立場に立ち、自分に足りないものばかり突きつけられています。
でももうこれは修行だと思うしかない、というか修行できること自体が超幸せだと思います。

実際恐怖の(!?)松山公演を終え、自分の表現したい感情や世界や表現方法や切り口みたいなものが、
以前よりは見えてきていると思います。
それは今回の作品だけに限らず、ライフワークというようなものになっていく気がします。
きっとやり続けること、探し続けることでしか、自分の表現の方法論なんて見えてこないと激しく思います。
でもそういうことを探し続けて、発見と探求を繰り返せるなら、きっと人生はもっと楽しくなるだろうと思います。

ところで松山のアンケートでは、怖かったという感想が意外にも多かったです。
(松山の皆様、たくさんの感想ありがとうございました!!)
八戸でも似たようなコメントをいただいて、私は見ている人を暗い気分にさせたいわけじゃないのにっていう葛藤が生まれていました。

でも学部時代に創ったものを思い出すと、
髑髏の布かぶったり、手や足が飛び出してきたり、包帯でぐるぐる巻きになったり、
結構当時からそういう感じだったなと・・・。
だからそろそろ開き直ってもいいのかもしれないとも思います。

私がよく刺激を受けるのは現代美術の作品ですが、
中でもやはり殺伐としたというか、冷えた印象の作品にとことん弱いです。
周囲の人のほとんどは顔をしかめて通り過ぎるのですが・・・。

でもああいう風に、人間とか生とか、生きること、
生きていることの本質みたいなのを突く表現は本当に憧れます。
でもきっとそれは、紙でも石でもプラスティックでもない、
生きた身体が媒体となるダンスが、一番雄弁に語りうると私は信じてやまないのですが、
なかなか現実化するのは難しく...(涙)

身体表現ってもう至るところで使われている言葉だけど、
これをどう自分がとらえるのか、これまたライフワークになっていくんだろうなと感じる今日この頃です・・・。

そんなこんなでこれからリハいってきます。


01.17

松山での初演終了です。

昨日松山から東京へ戻りました。

私としては本当に初めて、このような大きな公演で作家として作品を出させていただき、
右も左もわからないけれど、とにかくやってきたこと、
現時点でできることの最大値を本番で出すことを目標に、小屋入り後の4日間を過ごしました。

結果、色々な方のご協力もあって、本番は一つの形を出すことができました。
私含めメンバーのみんなも、最初は1000人規模のホールでどうしようという感じだったのですが、
日に日にエネルギーや強さが出てきたので、その変化が私にはとてもうれしくありがたい発見でした!

アフタートークも大勢のお客さんが集まってくださり、私は案の定うまくしゃべれませんでしたが、
お客さんの表情や様子から、きっといい公演だったんじゃないかなと感じられました。

松山はとても空気がキレイで、人も気さくで明るく優しい人ばかりでした!
星加さんや矢内原さんの作品もパワフルで、松山の人たちのカラーが強く表れていました。
主催チームの方々、お手伝いの方々、スタッフの方々も、本当にありがとうございました。
2週間後には鳥取へ出発なので、もっと本当の意味で納得する形を、また探していきたいと思います。

非常に余談ですが、私は追い詰められると流血の夢を見るみたいです。
数年前コンクール直前期にそういう夢を見たのですが、
松山行く前日にもスプラッタ映画みたいな夢を見たし、
昨日も友人の流血が止まらない夢を見ました…。
すでに鳥取に向けて追い詰められてるということかと思いつつ、再びがんばります!


01.13

松山です

松山のホテルです。昨日無事松山入りしました。

今日は朝一で舞台稽古でした。
通しを観てくれた水野さんに、レジデンスのときよりだいぶまとまってきたと言っていただき、
本当に松山で本番を迎えられるか心底不安だった私は、本当にホっとしてしまいました・・・。
いやいやもちろんこれからなんですけれども!><

八戸で松山まであと二週間で間に合うのかという、ほとんど背水の陣にたたされた私は、
年末年始もなく作品がどうしたらよくなるのか、
自分がどうしても譲れないやりたいこと、伝えたいこと、
メンバーのみんなと共有できていなかった部分、
客観的に観て伝えられていないのはなぜか、などものすごく考えました。

結果色々修正してはみたものの、7日に照明の方に来ていただき感想を聞いても、
まだまだ中途半端で何が言いたいのかモヤっとしているということで、
いよいよ手も足も出ない、もう放棄するしかないんじゃないかという状況になりました。

翌日スタバに3時間こもって思いついたのが、自分の役割や立ち位置を一貫させる案で、
自分が出てたシーンもほとんど自分カットという荒業に出ました。

でも今はたった4日前の大変更ですがやってよかったと思います。
それについてきてくれたメンバーにも感謝です。
残り二日、あとは私含めみんながどれだけのエネルギーを舞台上でぶつけられるか、ということです。
本番までに少しでも作品をよくできるよう、残りの時間あがいてみようと思います。


01.01

八戸ショーイングをへて

2011年あけましておめでとうございます。
私は仮眠をとっていたらそのまま年が明けていたという・・・。

八戸をへて、私自身のあり方や作品に関する問題点がものすごく明確になり、
2週間後の松山までにそのすべてを克服できるのか、ということで、
とても新年を迎えられる心境にありません。

八戸のショーイングでは、今まで私が振付的な視点に固執しすぎていて、
作品の全体像、客観性を見失っていたこと、
メンバーの思いや疑問に向き合っていなかったことなどが明らかになり、
2日くらいメンバーの目を直視できないような状態でした。

ショーイングには予想以上のお客さんがいらしてくださり、
とてもとても貴重なご意見ご感想をいただきました。
やはり作品としてのメッセージやコンセプトが伝わっていないことが明確になりました。

この2週間でやるべきことは、つじつまが合わなかったり必要のない
振付・構成・道具たちを精査して選別すること、
いかに見ている人に伝わりやすい演出にするかということ、
それをやることで作品としての筋を一本通すことだと思います。

幸いこの2ヶ月間、身体だけは動かしてきたので、
捨てる勇気と整合性を求めて、数日後には演出の最終決定をしたいと思っています。

八戸の1週間は本当に長いようであっという間で、
一日の分け目がどこにあるのかわからない生活でしたが、
踊りのことだけ考えていられる状況はとてもとても幸せでした。

はっちの方々はもちろん、街の人たちもみんなあたたかく、大好きになりました。
2月に戻るときは、作品をもっと進化させて帰ってきたいと思います。

あとメンバーのみんなへ。
みんなには本当に迷惑ばかりかけて申し訳ない気持ちでいっぱいですが、
こんなにも真剣に作品について考え、意見を出してくれるメンバーに恵まれ、
私はとても幸せだと感じます。
これから約三ヶ月間、どうぞよろしくお願いします!


12.21

八戸レジデンス①

昨日一人で八戸に入りまして、今日の夜メンバーが全員そろいました!

滞在先の八戸ポータブルミュージアムはっちは、つい一昨日くらいに建物内に人が入って活動が始まったばかりという、
本当に本当にできたてほやほやの施設でびっくりしました。(オープンは2月11日です。)
お部屋も広くて自炊もでき、とても快適に一週間を送れそうです。

昨日は担当の方と一緒に近くの横町でご飯を食べ、(せんべい汁初めて食べました!)
夜は一人でシアター2という本番で使う場所で稽古をしました。
シアター2も真新しく、木の床はフロアに入ると新しい木のいい香りがするようなくらいです!

本番をやるシアターがある施設内にレジデンス施設があるというのも夢のような環境です。
この1週間、本当にがんばらねばと、心を新たにした一日でした。

そして今日は夜全員そろったのでがっつりミーティングしました。
みんな作品のコンセプトや内容の理解が一層進んだようで、このタイミングでやってよかったなと思いました。
明日からやっとレジデンス本番という感じです!

(↓寝てるんじゃないですよ)


12.17

レジデンスまであと2日です。

今日は再び小道具の布を探しに行ってきました。
ユザワヤの制服がやたらスタイリッシュでみとれてしまいました。

そしてレジデンスに向けたミーティングのための資料作りをしました。
私はすぐ思考回路がずれていってしまうので、
ここにこんなこだわっても作品には何の益ももたらさないと気づきつつも、案外離れられないものです…。
ファミレスに4時間こもりました。

資料といって、具体的には作品のコンセプトとなる概念の説明と、
作品構成や各シーンで見せたいこと、やりたいことの詳細です。
かなり自己満的ですが、私自身色々と整理できてやってよかったなと思いました。

そして今日八戸のレジデンスに関する詳細が送られてきて、いよいよだという思いです。

学部時代、自分には絶対縁がないだろうと思ってきたレジデンスや地方公演という素晴らしい機会をいただけて、
本当に関わってくださってる皆様に対する感謝の思いと、ものすごいプレッシャーや責任の重さを感じます。

私ができるのは、ただただ作品と踊りに誠意をこめることだけだと思います。
初めてのレジデンスが、実りあるものになりますように。
クリスマス大返上でがんばります。


12.12

道具製作

毎週土曜日は、秋葉原の大道具制作現場へお手伝いに行ってます。
今日は制作チームにお願いしてる大道具の完成形が見られ、大興奮でした!
本当に皆様の努力と情熱には感謝です。

私は鳥かごの加工で、金属をのこぎりとニッパーで切る作業をひたすらやってましたが、
まさかあの金属を自分で切断できるとは思ってもみなかったです!
人間やればできるんだな…とつくづく思います。
来週に仕上げをして、八戸へ出荷します。

ところでつい昨日、死刑か無罪かというむちゃくちゃな裁判で、無事無罪判決が出たということで…。
検察側の言い分は、被害者の自宅のたんすに被告人の指紋やDNAが発見されたということでしたが、
今日ニッパーをものすごい握っていて、もし誰かが手袋をしてこれを凶器に殺人を犯したら、
この事件の被告人と同じように私も逮捕されて裁判にかけられるんだと思うと
他人事ではなく感じられました。
まさに虚構をも現実にするという意味で、権力の恐ろしさや暴力性を感じずにはいられません。
まあ今回は裁判員裁判だったからか、そのような事態は避けられましたが…。

話をリハーサルに戻すと、今日のリハ終了後、けえさんが私に、「感情や雰囲気というより、
一貫しない動きの一つ一つをしっかりやることでしか見せられない気がする」
といった趣旨のコメントをしてくれました。
2番目のシーンでは、演出や振付のねらい自体が、
連続性のない動きやシチュエーションの羅列ということだったので、
ダンサーがそう感じたというのは、私にとっては嬉しいことでした。
やはり人情(?)が働いて、なんだかんだつながりや整合性ができてしまっている気がしていたからです。

でもそれをやりきるにはまだまだこれからの稽古次第という感じです。
八戸に向けてあと一週間、いいレジデンスになるよう今から詰めていきたいと思います!

※写真は演出補佐の松尾望です。何から何までお世話になってます。
いつもありがと~!!!!!


12.05

バイト中に

考え事をよくします。

今作品と向かい合っていて、これまでにないくらい自分の過去の経験とか記憶とかについて考えます。
もちろん今までもちょこちょこありましたが、私にとってなんかそれは
とても自己陶酔的な行為に感じられてしまうので、
あえて避けようとしてきた部分があった気がします。

でもやっぱり今作品を創っていて出てくるイメージとか言いたいことって、
やっぱりどうしたって自分の経験とは離れられないんだなって最近強く感じます。
当然のことに今更気づきました!(涙)日々是勉強です。(と釈明)

人は楽しい記憶と悲しいとか辛い記憶のどちらを色濃く記憶するかといえば、
私は悲しい記憶の方だと勝手に思っています。
というか私の場合は断然そうです。

と言っても大した経験もしてないのですが、
自分が信じてた世界とか現実とかが、音をたてて崩れていった出来事のいくつかは、
今すぐにでもそこに行けるくらい、鮮やかな記憶として私の中に残っています。

でもそれがきっと大人になるってことなんだろうな〜と今は感じます。
不条理や不誠実や嘘を知って受け入れていくことというか・・・。

昔は人間というものをものすごくキレイで素晴らしいものだと思っていたんでしょうけど、
実際全くそんなことはないんですね。
前はそういうことをすごく悲しいことだと捉えていたけど、
最近作品と向き合う中で、何かそんなことも人間らしくていいじゃないかと思えるようになってきました。
そうしたらだいぶ精神的に楽になってきました。

そんなこんなでクリエイションの方は、先日初めて広い稽古場で通しをしました!
かなりいろんな課題や修正点が見えてきました。
明日からまたがんばります!!


11.29

深夜に音編集

ただいま早朝4時です。やっとメインのシーンの音がなんとなく固まりました。

編集作業始めてから家にCDがないことに気が付き、色々PCで模索してみたのですが、
かえって時間がめちゃくちゃかかり、夜な夜な自転車でCD買いに出かけました…。
機械オンチのくせに無理しないでさっさと買いに行けばよかったと激しく後悔。

でも深夜の寝静まった街は、いつもと全然雰囲気が違って新鮮で好きです。
冬は空気も空も澄んでるし、半月も星もくっきり見えました!

ところであのシーンの音にはかなり悩まされていましたが、今日も色々メンバーに意見をもらって、
現時点ではベストな答えが見つかった気がします。
みんなには何かと心配させて申し訳ないやらふがいないやらですが…。
自分を信じると書いて「自信」です。大きな課題です。

音明日試してみよう~ドキドキです。


11.27

初通し

一昨日になりますが、ダンス仲間の友達がわざわざリハを見に来てくれました。(涙)
なので何かとついたばかりでしたが無理やり通してみました。

まだ全然コメントもらう段階ではないのですが、
やっぱり初めてみた人の率直な印象とか感想って収穫が大きいです。
自分自身ひっかかっていた部分とか、あーやっぱりなとか、また考えるべきことが明確になって良かったです。

そして今日はけえさんと二人で色々確認した後、ソロのシーンやりました。
なんだかすごい時間かけても、通してみると数秒しか進んでいないんですよね…。そんなもんですね…。

でも悩んだあげくに気持ち悪いとことかがすっごい解消された瞬間とか、ほんと一人で小躍りしたくなります!
今日は結構そんな瞬間が多かったです!!
10秒も進んでないですが(爆)
なんて非生産的かつ現代に逆行する作業かしらと思いつつ、変な充実感を覚える日々です。

そして新たに株価について知りたい今日この頃です。


11.24

石田未来です。(11月21日)

あさゆったり

お茶です。はじめまして。石田未来です。朝の感じです。
ほんとうは、日曜日の朝の感じです。。
いつも、朝に余裕がないのです。バタバターとお家を飛び出して行きます。
そして、東京の街にすーと吸い込まれてゆきます。

隙間や余裕をうめる必要はないのだけれど、うめたい気持ちになったり、うめておいて余裕がほしーってジタバタしてみたり。
あーなに?!って思いますが、それでも家族を思い出し、広島を懐かしみ、
友人達と時間を過ごし、そして、前納依里子作品のリハーサルに日々(一週間ほぼ!!)奮闘しております。

ミラクルボディのみんなとわたしとゆう、少し心配される方も多々おられるかと思います。
わたしは、自分自身に大丈夫か?と自問自答の毎日ですが、作品は着々と進んでいます。
わたしも、進んでいきます。
よろしくお願いします!


11.22

久しぶりの図工(?)

お疲れ様です。

昨日になりますが、今回作品で使用する大道具の制作のお手伝いに、秋葉原へ行ってきました。
土曜日の秋葉原は大変にぎわっていました。

今回3人の方々が制作にあたってくださっているのですが、
みなさん優秀すぎて、何話してるんだか、日本語なのに全然理解不能で笑うしかない現場です。
そんな私でもできる、紙やすりでのやすりがけや、のこぎりで木を切る仕事をお手伝いしてきました。
中学の図工を思い出しました。
(私ブログ中で中高の授業思い出しすぎですね)

でもあの制作にかけるみなさんの情熱は本当に素晴らしくて、私もとても刺激をいただきます!
完成形はもう少ししないと見えてきませんが、どんな風になるかすごく楽しみです。

数日前には映像の方との打ち合わせもすませ、やれることやれないことがはっきりして、
だいぶいろんなことが見えてきました。

明日もリハがんばります!!


11.17

生と死のことで…

いきなり重たいタイトルです。

最近新たなシーンの稽古に入って、(石田未来ちゃんのソロです。)
ほんとにほんとにほんっとに主観の極致ですが、わたくし図らずも初見で涙ボロボロでした…。
最近深夜に一人で考え込むことが多かったからかもしれませんが。
今後上手に客観視しつつ、深めていきたいところです。

そして今日のリハでは、そのシーンにかかわり、生と死についてメンバーと話し合うことができました。
普段そんな話はなかなかできないので、いい機会でした。

余談になりますが、帰り道、生と死のことをボヤーっと考えていたら、
高校の生物の実験を思い出しました。
実験で使ったグッピーが死んで一人で泣いてたことや、
あさり(確か)の動いてる心臓を観察しながら、友達になったような気分になったこと。

今思うとかなりおめでたい高校生ですが、
高校時代の記憶あんまりない割に、この二つの記憶はかなり鮮明です。

とにかく生とか死とか、遠い話のようで案外ものすごく身近なはずなんだよなぁと。
だって生きてるってことは、イコールいつでも死ぬ余地ありってことなんだから、
身近というよりむしろ身そのものだよなぁと。

とか何とか思いつつ、自転車をこぐ夜道でした。


11.08

只今目下作品模索中


こんにちは。11月も1週間が過ぎて、急に冬到来という感じですが皆さんお元気でお過ごしですか?私は寒さを感じるごとに危機感が増す毎日です。
やっとのことで今月頭にコンセプトが固まり、メンバーとの打ち合わせも済ませ、また新たな展開に舵を切りだしたところです。この2週間くらい、まさに寝食忘れる日々でしたが、いろんな意味で濃い期間だったと思います。

そんなこんなで、この間しばらくぶりに朝のニュースをちゃんと認識しながら見ていたら、ちょうど尖閣諸島の映像が流出した日でものすごいびっくりしたのですが、今回のテーマである「現実と虚構」が頭をよぎりました。そのあと電車で週刊誌の広告とかも眺めていたら、本当に現実って虚構的にできているなと思いました。「事実は小説よりも奇なり」とはまさにこのことです。
でもこれが現実なら、映画なんていらないんじゃないかと。映画よりもスペクタクルに溢れているというか、映画ならフィクションで済んじゃうけれど、それがノンフィクションならこれ以上刺激的なことはないですから…。
でも、実は虚構的である現実が、「真実である」という保証はどこにもないのだから、これが現実の厄介なところです。そういう意味では、フィクションは「真実ではない」という絶対的保証があるから娯楽になるんでしょうね。これを逆にとって、「ノンフィクションは真実である」と勘違いしてしまった結果、古今東西で悲劇が後を絶たないのかなと感じます。なんか高校のとき習った数学を思い出します…。
こんなことを考えていたら、確実に虚構的である「舞台」とか「ダンス作品」の可能性みたいなものが、また別の視点から見えてくる気がしてきましたが、今はちょっと余裕がないので保留です…。

とりあえず、今現在の私の現実かつ真実は、只今目下作品模索中という事実です!


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